妹に弱い
バターレイでちょっと危なそうなことをするだけでいろんなものが手に入るようになった。
ただ、この危なそうなことっていうのがクセモノだ。
どこかの貴族の家の前でだらだら座って、何も見ていないふりをして全部見ていろ、とか。
何が起きてるのかわからないけど、おれは見たままをフィンたちに説明する。するとフィンが笑ってみせる。その笑顔を見た時初めてどれぐらいヤバいことをやらされていたのかに気づくんだ。
前におれやフィンとは何の関係もないガキが大人に引きずられていったことがある。たぶん、おれたちの、フィンの仲間だと思われたせいだ。
知らないうちにヤバいことをやらされるのを回避するのにはいい手がある。
フィンがおれに持ちかけてくる仕事は、ハルアにやらせても大丈夫な仕事かどうか、想像してみる。
たいてい想像するだけでぞっとして、カンでハルアにやらせちゃいけない仕事だってわかる。
それが本当に危険な仕事だ。
「なァ、マルノ」
猫なで声でフィンが話しかけてくる時は絶対要注意だ。
何を考えているかわかったもんじゃない。だけど、今日のおれのカンはそこまでざわざわしていない。
「妹連れて、今日の昼にココに来いよ。三つ目のアジト」
「……危なくはなさそうだな」
「危なくなんてねーよ。いや……オレもよくしらねーケド」
呟くように言うフィンはびっくりするぐらい無防備な顔をしていた。バターレイのやつらに特徴的なあのギラギラした感じがなくなって、夢を見るみたいな顔をしてた。
だけど、すぐにその感じはなくなった。フィンはおれに見られていたことに気づいて、へらへらとした笑いを浮かべた。一瞬すごく嫌そうな顔をしていたのもおれはばっちり見ていた。
「ふうん、行ってもいいよ。ハルアを連れて」
「別にイイんだぜ? 来なくても」
「行くって。いつもフィンには世話になってるしな」
にやにやと笑ってやったらフィンの顔がひきつった。いつもへらへら笑ってるフィンに一泡ふかせたみたいで面白い。
危ないことじゃないみたいだし、ハルアもつれて絶対に行ってやることにした。
「お兄ちゃん、ホントに? わたしも行っていいの?」
「ああ、フィンがおまえも連れてこいってさ」
ハルアがふわっとした笑みを浮かべる。花がさく、って本当にこのことだ。
貴族がメシ以外の服とか、宝石とか、花だとか無駄なもんに金をかけるのを見て意味がわからないとか狂ってるとか言うやつがいるけど、おれはあいつらの気持ちが少しだけわかる。
ハルアの笑顔が見られるなら、どんな無駄なものだって手に入れてやりたいって思えるから。
「お兄ちゃん、危ないことしてるのかと思ったけど、違ったのね」
前からハルアは孤児院で具合の悪い体を持て余しながらも、外の情報をそれなりに得ていて、おれがバターレイで動き回っているのを中途半端に知っていた。
それから、ハルアはバターレイにいきたいとだだをこねることがよくあった。他の願いならなんでも叶えたかもしれないけど、危ないことをやらされるってカンでわかる時にハルアを連れていく気には絶対にならない。
バターレイは用のない時に行く場所でもない。
本当にあそこの人間になっちゃいけないって、おれのカンが言っている。
――ハルアのために。
「ハルア、今日の昼は初めてのバターレイだ。久しぶりの外出だな。準備はできてるか?」
「髪、とかしてないわ」
「櫛を借りてきてやる。ほら、メシはきちんと食うんだぞ」
「ちゃんと食べるわ。子供扱いしないで」
子供扱いなんかしてない。可愛い可愛い妹扱いだ。おれはハルアの頭を撫でてやった。ハルアはぷうっと頬をふくらましたなんだこれ、めちゃくちゃ可愛い。
おれと同じ色の髪はふわふわしていてやわらかい。おれと同じで全然違う、おれの妹。
おれは教会からもらってきたパンをハルアに渡した。これだけはしゃいでいるなら食欲もわいているだろう。今日は一個全部食べられるかもしれない。
「お兄ちゃんのぶんは?」
「ちゃんとあるさ」
そう、どういうわけか、教会にいるあの女、あの聖女はおれにはパンをふたつくれる。前は妹がいるって言ってもくれなかったのに。
「それならいいわ、食べてあげる」
「ああ、おれのために、食べてくれ」
ハルアがにっこり笑ってくれるだけで、おれは胸いっぱいになるけどな。
ざっとアジトを眺めてなんとなくわかった。
この中に危なそうなやつはいない。見たことがあるやつも、ないやつもいるけど、いろんな意味でわりと安全そうなやつばかりだ。
ここにいるやつを集めたのはフィンだから、わざとなんだろう。
教会にいるやつらと比べてもずっとマシな感じがする。
バターレイに足を踏み入れてからずっとハルアの手を握りしめていたけれど、ここではその必要を感じなくて自由にしてやる。
ハルアは嬉しそうに足を踏み入れた。物珍しそうに周りを眺めて、品の良さそうな女たちの輪に入れてもらっていた。
「――まさかホントに妹を連れてくるとはな」
「フィン」
「妹が可愛くて可愛くてしかたないんじゃなかったのかよ?」
「だから連れてくるのは今日にしたんだよ。いつもは危なくてとてもじゃないけど連れてこれない」
「おまえ、そういうトコなんだか鼻がイイよな?」
お兄ちゃん、だからな。フィンにはわかんないだろう。
フィンはこのバターレイにいるガキ全部の兄貴みたいなもんだけど、本当のお兄ちゃんじゃないんだから。
何より、ハルアみたいに可愛い妹がいない。
ふとハルアを見てみると、壊れた壁の破片に触ろうとしていたから慌てて止めに行った。
ここは前はアパートか何かだったんだと思う。だけど寂れてボロボロになって、今じゃ壁が壊れて全部の部屋が繋がって見えた。
「フィン、エリーゼさんきたよ!」
「ああ、来たか」
フィンが少し緊張した顔をした。
いや、緊張というのも違うかもしれない。体中に意識がはりめぐらされる感じ。 なんて言うんだろうな。しゃきっとした。
みすぼらしさにかけては右に出るものがなくて、地べたにぺたんと座ってれば誰にも意識されないことにかけては左に出る者もいない、いつもフィンの周りをうろちょろしてるちっちゃい女の子は嬉しそうに飛び跳ねている。
「エリーゼさん、こっち!」
「はいはい」
ひょこん、とこのアジトの中に顔をのぞかせたのは裕福そうな女だった。おれやハルアより年下だろうけど、ハルアより健康そうだ。
裕福って言ってもおれたちがフィンに見張りをやらされるような貴族の女たちとは違う。
でも、町でふつうに暮らしているような、生きていた時に母さんが着ていた服よりいい服を着ている。
「えー、こほん。……みんな、元気かなー!?」
この女が何をしたいのかわからなかったのはおれだけじゃないみたいだ。
しんとするアジト。ハルアが何かしてやりたくてソワソワしているけれど、結局何もできなかった。
おれたちの前に立った女は笑顔のまま目に涙を浮かべた。バカなのかもしれない。頭の弱いやつっていうのはどこにでもいるものだ。
だけどフィンはあの女を見て眩しそうに目を細めた。
「えーと、どうしよう。それじゃ・・・・・・まずは自己紹介からね。私はエリーゼ・ハイワーズ! あ、いいよ。もう答えとか待たないから」
答えて欲しかったらしい。そもそもどんな答えが欲しかったのかさっぱりわからない。
「あの子、ちょっと可愛い」
「そうか?」
ハルアが小さな声で言ってくすくすと笑った。ハルアを笑わせたのは偉い。評価する。
エリーゼという女は手提げから紙を取り出した。その紙を開くとひらっと下げてみせる。
「今日は九九を覚えよう!」
結論から言うと、あの女、エリーゼの目論見は失敗に終わった。
おれたちのほとんどは数字が読めなかったから、そもそもマス目にかかれた記号が数字だってわからなかったのだ。
一番面白かったのはそれを知った時のエリーゼの顔だった。結局、何故かエリーゼはおれたちに数字を教えて帰っていった。何が目的かは知らないけど、数字を覚えさせたいらしい。
意気消沈したあの女が帰った後、残された数字がたくさんかかれた表を見てハルアが興味津々だったから、おれはフィンに聞いてみた。
「なあ、ククってなんのことだったんだ? これはなんだ?」
「かけ算、らしいな。エリーゼもいきなり要求するレベルが高すぎるぜ」
「かけ?」
「例えばさ、貴族の屋敷が九個あって、それぞれの家に無理矢理連れられてきた九人の女が囲われてる。貴族に虐げられてる女の数は全部で何人になると思う?」
「へ?」
「81人だよ。ほら、よくこの表を見てみろよ」
「本当だわ!」
「ハルア? どうしてそんなことがわかるんだ?」
ハルアは嬉しそうに紙ぺらに書かれた数字を指でなぞった。おれはもうエリーゼが今日絶対に覚えるようにって言ってた数字のうち、おれとハルアを合わせた数である2って数字以外わからなくなっていたけれど、ハルアはいちからじゅうまで全部覚えたみたいだ。
「お兄ちゃん、見て。縦と横の組み合わせでわかるのよ」
「コレが九九ってヤツだ」
「ねえ、フィンさん。これをわたしがもらってもいい?」
「ま、イイんじゃね? お前以上にエリーゼの授業に興味を持ってるヤツはいなさそうだし」
「わたしはもう覚えちゃったし」
リリが言うと、ハルアが少し悔しそうにきゅっと唇をすぼめたけれど、紙を胸に抱きしめると嬉しそうに笑った。
なんだか気に入らなくてハルアから紙を取り上げたくなったけれど、ハルアが嬉しそうだからそんなことできない。
「お兄ちゃん、またエリーゼさんに会えるかしら?」
なんだかちょっと気に食わないから連れて来たくなくなってきた。別に危なくはなさそうだけど、そういうことじゃなくて。
おれの心を読んだみたいに、ハルアがしゅんと項垂れた。
潤んだ眼差しでおれを見上げる。
「だめ……?」
「まさか、ハルアが会いたいなら、また来ような」
ハルアに上目遣いで小首を傾げられたら望みはなんでも叶えてやりたくなってしまう。
妹っていうのはそれだけで得だ。そしてお兄ちゃんは幸せ者だ。
「数字ぐらいはコッチで叩き込んどくべきだったかな……だけどせめて足し算からやれよな……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、フィンの口許もにやけていてなかなか幸せそうだ。
おれたちは結構似た者同士かもしれない。
「エリーゼさんと仲良くなれるかしら」
「それはまだ早いんじゃないか? どんな女かわからないし……」
「お兄ちゃん」
「わかった。仲良くなれるように協力する」
ハルアがにこっと笑ってくれた。
だけど、フィンが台無しにした。
「軽々しくエリーゼに近づかれちゃ、困る」
「どうして?」
「エリーゼはああ見えて忙しいんだ。会っても何もエリーゼの得にならないような孤児なんかのために、エリーゼの時間を無駄に使わせるな」
「ハルアと過ごす時間が無駄なわけないだろ!」
「おまえは黙ってろ、バカ兄が」
フィンはハルアを見下ろした。威圧的に見るなと言ってやりたかった。でも、ハルアが無意識の内にだろうけど、手でおれの言葉を遮って、おれは思わず黙ってしまった。
フィンはハルアに厳しい言葉を吐き続ける。
「おまえがエリーゼにとって、何の役に立つ?」
「わからないわ。だけど、なんでもいいから、エリーゼさんの役に立つようになればいいのよね?」
「そうだな。使いっ走りでもなんでもイイぞ」
「ハルアにんなことさせられるか!」
「お兄ちゃんうるさい!」
ハルアに邪険にされた。
深い絶望に襲われて、それからハルアがフィンと何を話していたのかわからない。
だけど、気づいたらおれは孤児院に戻ってきていて泣いていた。
ハルアはため息を吐きながらも謝ってくれて、おれを慰めるために背中を撫でてくれたから、おれはすぐに涙も乾いた。
だけどハルアにうるさいって言われるきっかけになったエリーゼという女のことは――。
「お兄ちゃん、協力してくれるでしょう?」
「……うん」
「ありがとう、お兄ちゃん」
ハルアに感謝されるだけで、この報われた感はなんなんだろう。
釈然としないけれど、いいか。
ハルアは可愛いおれの妹。ハルアが何をしようと、何を望もうと、おれがハルアのお兄ちゃんだってことに変わりはない。
「それで、おれは何をすればいいんだ?」
次の瞬間、ハルアの唇から飛び出してくる言葉がなんであれ、その笑みと共に吐き出される言葉ならなんだって飲み込めそうだと本気で思った。
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