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妹への恋


「ハルア、どこに行くんだ」
「フィンのところよ」

 フィン!
 つまりは男だ。おれは胸の中にわいたもやもやをどうしたらいいかわからなくて歯ぎしりした。
 そんなおれを無視してハルアは出て行った。おれがもやもやぎりぎりしながらもハルアを見送ることができるのは、男ではあっても相手がフィンだからだ。

 フィンがあの女、エリーゼといるところを見れば、フィンがハルアに何かするわけがないってわかりすぎるほどわかる。
 だけど男ではある。
 だからおれはいてもたってもいられず部屋を出た。

 ハルアが本格的に可愛い女の子になってきて、周りの野郎の見る目が変わる頃、おれは貯めてきた金を使ってハルアと一緒に孤児院を出た。

 おれたちは今、バターレイ近くの貧民街に暮らしている。生活は苦しいけど、ハルアと二人ならこのままの暮らしが永遠に続いたって構わないと思っている。だけど、ハルアは違うらしい。
 フィンにやらされているのは危ない仕事じゃなさそうだけど、でも、体の弱いハルアは少し無理をしただけで体を壊す。他のやつらが普通にできることでも、ハルアにとっては違うのだ。だから、できることならおれの稼ぎで満足して欲しい。

 ハルアの後をつけるように歩いていくと、どういうわけかハルアはバターレイを通り過ぎた。ハルアがおれに嘘を? 嫌な予感で胸がむかついたけれど、ハルアの目的地を知って少しだけ気持ちが落ち着いた。

 ハルアが入って行ったのは精霊神教会だった。ちょっと立ち寄るつもりなのかもしれない。
 でも、もし、どこの馬の骨ともしれないやつに騙されて呼び出されていたりしたら危ないから、見守り続ける。

「ヴィルヘルミナさん、少しお時間をいただけませんか?」
「まあ、ハルアさんだったかしら……何度も伝えたはずですよ。私にも覚えはありませんわ。何分、昔のことだわ」
「調べていただくことは――」
「私は情報屋ではありませんから……」

 ヴィルヘルミナという萌葱の髪の聖女は困ったように微笑んだ。
 ハルアが何を頼んでいるのかは知らないけど、ハルアの頼みを断るなんて何様のつもりだ?

「師父とあなただけが手がかりなんです」
「ここには毎年大勢の子供が来るんですよ」

 だからいちいち全員のことなんて覚えているわけがないだろ、と言っているのだ。
おれにわかったんだ。頭のいいハルアにわからないはずがない。ハルアは俯いて、踵を返した。おれはハルアに見つからないように側廊の柱の裏に隠れた。

 ハルアはゆっくりと歩いて教会から出て行った。いつも背筋をまっすぐに伸ばしているハルアなのに、少し背を丸めていた気がする。
 例え女だろうとハルアを泣かせたら殴る。
 おれはハルアが出て行くのを見計らい、柱の陰から出た。おれを見て聖女は驚いたように目を見開いた後、どういうわけか嬉しそうに笑った。

「素敵だわ」
「何がだ? ハルアに何を聞かれてたんだ? どうして答えてやらないんだ」
「ハルア――そう。彼女があなたの妹だったのですね」
「おれの質問に答えろ」

 答えによっては殴ってやる。女を殴るのは最低の行為? 構うもんか。
 おれがそんなことを考えて睨みつけているのに、何も感じないのか、聖女はにこにこしながら答えた。

「彼女はご両親のことが知りたいようです」
「親?」

 意外な言葉におれは面食らった。これまで、おれたちはほとんど親の話なんてしたことなかった。いないのが当たり前だし、話したって仕方ない。
 何より小さかった頃、ハルアがよく他のガキの親を見て泣いていたから、自然と口に出さなくなった。
 最近だって、そんな話をした覚えはない。

「ご両親の名前も何もかも覚えていないけれど、お二人について知りたいんだそうです。手がかりは十年程前に教会に捨て子も同然に預けられたことだけだと……その後教会から孤児院に彼女とあなたを移したのは教会の者でしょうから、その者から母と父の手がかりを掴みたいのだそう」
「だけど、それがわからない?」
「わかりませんわ。彼女は母親の名前すらわからないと言うのですから」
「母親の名前なら、アリアだ。おれ、それは覚えてる」

 でもこれだけじゃ、手がかりは足りないか?
 ハルアがどうして知りたいと思っているのかそもそもわからない。けれど、ハルアが望むのなら何でも手に入れてやりたい。
 おれが縋るように聖女を見つめると、聖女はうっとりと微笑んでみせた。悪い反応じゃない。ただ、意味がよくわからなくて、ちょっと不気味だ。

「あなたに頼っていただけるのなら、なんとか手を尽くしてみますね」
「……あんた、おれに惚れてるの?」

 もしそうだとしたら、その気持ちには答えられない。おれが食わせてやれるのはハルアだけだ。金銭的な意味で。

「そういうことではないと思うのですけれど、見る者によっては同じかもしれませんわ」
「はあ」

 何を言ってんのか、本当に意味がわからない。
 適当に頷いていたら、聖女が「少しお待ちください」と呟いて、奥の方に引っ込んだ。何かハルアが欲しがるような情報をくれるのかと思って待っていたら、戻ってきた聖女の手にはバスケットがあった。

「久しぶりに来てくださったんですもの。パンをお持ちになって。これぐらいしか今差し上げられるものはないのです」
「くれるっていうなら、もらうけど。いいのか? 一人立ちしたやつにはパンはやらないって話を聞いたけど」

 聖女が差し出したパンを三つともしっかり受け取ってから聞いてみる。今更だめだって言っても返さないぞ。
 だけど聖女は快く頷いた。

「いいんです。あなたになら」
「三つも?」
「ええ、三つですもの」

 何が?
 首をひねるおれに聖女が笑いながら言う。

「ギルドカードを作れば、わかると思います」

 市民カードではなくて、ギルドカード?
 意味がわからないから気にしないことにした。ギルドカードは市民カードより便利な機能がついているけど、その代わり課せられる義務がある。
 ハルアのために何の役にも立たない義務を果たしている時間が惜しいから、おれはギルドに入るつもりはない。

 綺麗だけれど気味の悪い笑みを浮かべている聖女ヴィルヘルミナから顔を背け、おれはバスケットを手に教会に背を向けた。
 さっさと立ち去ってやろうと思っていたけれど、そうすることはできなかった。

 教会の入り口の階段に、ハルアが倒れていた。

「――ハルア!? どうした!?」
「ん、ハァ……お兄ちゃん、どうして……?」
「それはおれの台詞だ! どうしたんだ? 誰かに何かされたのか!?」

 苦しそうに息をしながら、ハルアは首を横に振る。
 それ以上は何も答えられないとばかりに目を瞑り、ハルアは荒い呼吸を繰り返す。その姿を見下ろして、おれはパニックになりそうな心を必死で宥めた。

 誰かに、何かをされたわけではないらしい。
 つまりハルアは自然とこうなったってことだ。こういうハルアは昔から何度も見ている。だから動揺する必要なんてない――そのはずなのに、おれのカンが告げている。

 これはいつもの風邪や体調不良とは違う、ヤバイヤツ、だ。

「どうしましたの、マルノさん?」

 後ろから声をかけられ、振り向いたおれはそこに立っていたヴィルヘルミナを知らず知らずのうちに縋るように眺めていたらしい。
 ヴィルヘルミナはおれが腕に抱くハルアを一瞥してからおれを見やり、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「こちらへいらして。私のベッドをお貸します」
「助かる」

 この女がおれに見せる甘さは不気味だけれど、今だけはどうでもよかった。
 ハルアを助けるためならば、おれはこの女の望みをなんでも叶えるだろう。

 頬を赤く火照らせてぐったりとしているハルアを抱き上げて、聖女の部屋へと連れていった。ヴィルヘルミナの部屋は簡素であまり物がなかったが、ベッドは上等だった。ハルアをそこへ寝かせると、胸元のボタンを外して寛げてやる。

「マルノさん、お水をお持ちしましたわ」
「ありがとう」
「妹さんに治癒術をかけてもいいかしら?」
「――お布施は、今すぐには用意できないけど、必ず用意する」
「お金なんていりませんわ」

 何故? わからないけど、いらないっていうのなら、助かる。
 病人は金がかかる。可愛いハルアのためにしてやりたいことが山のようにあるのだ。節約できるのなら、ありがたい。
 普通なら高額な費用が必要になる治癒の魔法がハルアにかけられるのを、おれは横で固唾を飲んで見守っていた。

「癒しの白い光(キュア)」

 光の粒がハルアの白い肌にするすると吸い込まれていく。
 赤くなった頬に触れると熱くて汗ばんでいて、おれは額に滲みだした汗を拭ってやることしかできなかった。

 それなのに、無力なおれにヴィルヘルミナは不吉な言葉を囁いた。

「無理だわ」
「何がだ?」
「魔力が際限なく吸い取られてしまいます。これは魔法では治せない病――」
「ハルアを助けてやってくれ!」

 即座に叫んだおれの言葉を待っていたとばかりにヴィルヘルミナは笑みを浮かべた。

「何をくださいます? マルノさ――」
「なんでも!」
「……少しは躊躇っていただかないと面白くありませんわ」
「ハルアが元気になるまで面白いことなんかなんにもない」

 ヴィルヘルミナはおれを焦らせたいのかもしれない。イラつくおれを見たいのか? とんだ悪趣味な女だった。
 だけどおれにはそんな余裕はかけらもない。
 焦る余裕も、怒りに震える余裕もない。――おれにできるのはただ只管、懇願だけ。

 おれにはもう、わかっている。
 おれはお兄ちゃんだから、妹のハルアに死の気配が忍び寄っているのを感じ取れる。おれにできることが何もないことさえわかってしまう。
 ――だけどおれは、嘘をつく。

「お兄ちゃんがなんとかしてやるから、だから、安心しろ」
「にい、さん」

 浅く呼吸をするハルアの唇が心なしか青ざめてきているような気がする。
 力なくシーツの上に投げ出された腕。汗ばむ首筋、鎖骨は青白くて、眼窩は落ち窪んでいる。

 ぐったりとしたハルアの身体を掻き抱く。――信じられないほど細い身体。おれの身体についた肉や筋を、少しでもハルアにわけてやりたい。
 そのためならなんでもしてやる。おれにはできる。

 ――躊躇いなんかない。

「聖女ヴィルヘルミナ……おまえはおれに何を望む?」

 この女が望むのなら、おれはこの薄気味悪い女に骨までしゃぶられたって構わないと思った。
 それでハルアが助かるのなら、おれは身体も心も切り売りしてやる。
 だけど、ヴィルヘルミナが望んだのは奇妙なことだった。

「それでは、マルノさん……どこかのギルドに登録して、ギルドカードを作ってきてはいただけません?」
「は?」
「マルノさんは確かもう十五を越えていたと思いますけど……」

 ちょっと不安そうに言うヴィルヘルミナにおれは問い質した。

「どういうことだ? ギルドカードを作ってそのカードを鋳潰して、あんたに売れっていうことか? それとも、どこかのギルドに潜りこんで、悪いことでもやれって?」
「そうではありません。ただギルドカードを作って、それを私に見せていただければいいのです」
「はあ?」

 全くもって意味がわからない。それがこの女の利益にどう繋がるんだ?

「わからなくても構いませんわ。私は精霊を心より敬愛しています。ですから、精霊に愛された人々を尊敬しているのです」
「はあ」
「だから、あなたがギルドカードを作ったら、そちらに記載された恩恵ギフトを見せていただきたいのです。本当に、私が求める対価はそれだけ」

 ヴィルヘルミナは期待を込めた目でおれを見ている。
 意味がわからない。だが、おれにできることは他にない。

「――今からカードを作りに行く。おまえはハルアのために必要なものを用意しとけ」
「もちろんです」

 ヴィルヘルミナは静かに微笑んだ……この女は本当に信用できるのか?
 もし、もしだが――もしもこの女が裏切ったなら、裏切り者のこの女の下へ置いていったハルアはどうなるだろう?
 最悪の結末ならいくらでも想像することができる。
 ……だけどおれの頼りになるカンが言っている。

 おれがハルアのためにできることは、これだけだ、と。

「ハルア……行ってくる。すぐに戻るよ。……安心しろ。大丈夫だから」

 大丈夫だ。この感覚を頼りに生きてきて、これまで外れたことがない。
 おれは精霊神教会を飛び出した。周りの景色が飛んで見えた。
 灰色のぐちゃぐちゃとした町を抜けて、おれの足は若干躊躇いながらも、商業ギルドへの道を辿った。

 他にも色々ギルドはあるが、何故かおれの足がそちらへ向いた。
 商業ギルドのギルド員や、中でたむろっていた商売人がおれを見て嫌そうな顔をした。まさか登録を制止されるんじゃないかと若干焦りはしたけれど、そんなことはなかった。
 おれはギルドマスターの説明を聞き流し、ギルドに登録した。
 登録を解除するには莫大な違約金が必要になるらしいが、構わない。
 年毎に会費もかかるらしいが、構わなかった。

 きっと大丈夫。おれのカンが、おれの胸の中でぎりぎり言いながら告げている。
 大丈夫。大丈夫。これはハルアのためになる。だから大丈夫。絶対に、大丈夫。
 例えおれが死ぬほどつらい目に合おうとも、ハルアは大丈夫だと、教えてくれる。

「ギルドカードではあなたがお持ちの精霊の恩恵ギフトを見ることができるんですが……何もないからって落ちこむ必要はありませんよ。それで商売に差しさわりが出るわけではありませんので」

 でぶったおっさんが淡々と言う。
 商売に差しさわりが出るのは、どちらかというと生まれだよな、とぼんやり思いつつ、おれはなんとなくカードを見た。
 聖女ヴィルヘルミナが一体何を欲してこんなモノを見たいと言ったのか、知るために――。

「ぎぃっ!?」
「はい? どうしました?」
「や、な、なんでも――ぐえっ」

 慌てすぎて転んだ。
 カードを見すぎて足下が見えていなかった。カードを落としたおれは慌てて立ちあがり、誰にも見られないうちにカードの表示を消そうとした。

 カードには三つの恩恵が刻まれていた。
 正直、恩恵を三つも持ってるなんてすごい、自慢していい。
 例えそれがどんなにくだらないようなものでも、それは精霊に注目されているという証。

【妹思い】【妹が好き】【妹に弱い】

 だけどこれは、おい。
 い、妹思いまではいいとして……妹が好きっていうのは、アリなのか?
 好きなのは普通だよな? 兄妹愛だもんな?

 戸惑いながらもおれの足は自然と精霊神教会に向かう。
 ヴィルヘルミナはこれを見たらなんて思うだろう?
 あの女になんと思われたって構わない。いや、嫌だけど……けれど、ハルアの命にはかえられないから見せてもいい。
 だけどあの女の期待しているものと違ったら、もしかしたら、掌を返される可能性がある。

「くそっ」

 もしここまでのあの女の言葉に偽りがなければ、おれがこうしてギルドカードを作りに行っている内に、ハルアを助けてくれる医師なり、治癒術師なりを用意してくれているに違いない。
 もしおれの持つ恩恵があの女の趣味に合わないものだったとして――その時は。

 できることなら手を汚したくなかった。おれはハルアのお兄ちゃんだから。
 フィンにどんなに誘いをかけられても断ってきた、けど。
 だけど、仕方ない、よな?
 ハルアのためになることはなんだってできる。
 そうしたいのは、おれだから。

「――聖女、用意はできてるのか?」

 精霊神教会の奥の、聖女の部屋にずかずかと上がり込む。
 ヴィルヘルミナはハルアの額に置いたタオルを冷たく濡らしてやっていた。顔を赤く火照らせたハルアが嬉しそうに吐息したのを見て、その行動には素直に感謝した。

「はい、マルノさん。……おそらくこれがハルアさんのために必要な薬」

 そう言って、ヴィルヘルミナは戸棚の中から小さな硝子の瓶を取り出した。
 薄い黄緑色の液体が入っている。

「妖精の花から作られた、とても貴重な薬です。これを飲ませれば助かるでしょう」
「へえ……」

 なるほど。
 じゃあ最悪の場合、おれが手にかけなくちゃいけないのはこの女一人ってことだ。
 この女の手の中から瓶が零れて、薬を床にぶちまけないようにしないといけない。
 ハルアに床を舐めさせるのは嫌だからな。

「あなたのギルドカードを展開して私に貸して下さい。……交換しましょう?」

 意外にも、ヴィルヘルミナはおれの恩恵を確認する前に薬をおれに差し出してきた。
 拍子抜けしながらおれは展開させたギルドカードを差し出しつつ、薬瓶を受けとった。

「これを飲ませてハルアの具合が悪くなったりはしないだろうな?」
「ええ、もちろん。――もしそんなことになれば、この恩恵を持ったあなたは私を許さないでしょう?」

 これもまた意外な反応だ。ヴィルヘルミナはおれの恩恵を眺めながら、大した反応は見せなかった。
 ただ並ぶ恩恵を見下ろして、綺麗な顔立ちをした女に言うのはアレだけど、にやにやと気色悪い笑みを浮かべている。

 気味が悪くて目を逸らし、おれは薬瓶をおれの胸に押し付けてカンに問う。
 なあ、これは、ハルアにやっても大丈夫か?
 カンは答える。大丈夫――それどころか、今すぐにでもハルアにやらないといけない。飲ませるんだ。

 ――もしかしたらこのカンは、精霊の恩恵がもたらす福音だったのかもしれない。

 おれは薬瓶の蓋をあけて、中身をそっとハルアの口の中に垂らした。
 どろりとした薬が舌の上に垂らされると、ハルアは咄嗟に吐こうとした。それを見て、おれは焦った。これは妖精とやらの花から作られた貴重な薬。
 その名前を聞いただけでその稀少性がわかる。

 この国は精霊神教会が統べている。妖精っていうのは存在事態が憚られる。
 ハルアに吐き出させてはいけない――!

 咄嗟におれはハルアの唇を覆っていた――おれの口で。
 ハルアの舌が薬から逃れようともがくのを、おれの舌で押し込んだ。確かに薬はクソまずかった。ハルアが薬なんて飲みたくないとおれの身体を細い手で押し返そうとするけれど、その腕を掴んで抑えこむ。
 足をばたつかせるから、ハルアの膝の間におれの身体をねじ込んで、おれの身体でハルアの身体を抑えこんだ。

 薬を少しでも呑み込めるよう、間違って唾を吐き出しても大丈夫なよう、ハルアの柔らかい咥内に塗りこんだ。
 おれの口の中にも薬が入ってきてしまったから、ハルアには可哀想だけど、おれの唾液も一緒に飲ませる。

 ハルアは苦しそうにだけど、少しずつ飲みこみ始めた。

「ハ、ァ」
「頑張れ、ハルア……もう少しだ」

 薬瓶に残っていた薬をおれは口の中に含んで、ハルアの唇を割った。
 ハルアは柔らかい唇の奥で歯を食いしばっていたけれど、おれは舌でこじ開けた。顔を背けて抵抗しようとするから、両腕はおれの片手でまとめて捕まえ、もう片方の手でハルアの顎を捉えた。

 確かに薬はクソまずい。孤児だってこんなヘドロみたいなもんは口にしたことはないだろう。だけど少なくともおれは、ハルアの唾液と混ざるとあまり味が気にならなくなった。ハルアに飲ませなくちゃならないのに、危うくおれが飲みこみそうになる。

「ん、んっ」

 ハルアが涙目になりながら薬を飲みこんでいく。
 おれはそれを間近で眺めながら、ハルアの口の中を舐めていた。柔らかくて温かい。ハルアの小さな舌から嫌な味が消えるように、ハルアが薬を飲みこんだタイミングで、唇を離して、水の入ったコップを手に取り、口に含んだ。

「にい、さん、まって――」

 ハルアが弱々しい声で制止するけれど、おれはハルアの頭を掴んでその唇に唇を押し当てた。逃げ出さないように髪の毛に指を絡める。
 ハルアの口の中にも、おれの口の中にもまだ薬は残ってる。
 それを身体の中に押し込むために、水を流す。ハルアも味を消したいからか、ざらつく舌がおれの舌を受け入れて、おれの与える水を素直に飲んだ。

 伏せた瞼の、長い睫毛に溜まる涙の滴を見ていたら、背筋にぞくりと震えが走った。
 ハルアの口から舌を抜いて、唇をそっと離す。

「兄、さん」
「なんだハルア? もっと水が飲みたいなら――」
「―――兄さん」

 ハルアからやけに強い声が出て、おれはハルアが回復したと気づいた。
 喜びに浮かれようとしたけれど、ハルアの顔を見て興奮が消える。

 ハルアはものすごく冷たい目でおれを見ていた。

「は、ハルア……?」
「離れてくれる?」

 今、おれはハルアの身体の上に乗りあがって、鼻先が触れあうような距離でハルアを見ていた。そっとハルアの上から身体を起こすと、ハルアもベッドの上で上体を起こした。慌てて支えようとしたおれをハルアはひと睨みで硬直させる。

「離れなさいと言ったでしょう?」
「は、はい……」

 今、おれの恩恵である【妹に弱い】が発動したのを感じた。
 ハルアは自分の手でコップを手にとり、水を飲みほした。コップの水がなくなると、傍でやけに静かにおれたちを見ていたヴィルヘルミナが言う。

「お水を持ってきましょうか?」
「ええ、お願いできます?」
「それでは、ギルドカードをお返ししますね」

 そう言って、ヴィルヘルミナは笑顔でおれのギルドカードを返した……ハルアの手に。

「ちょ、おい、待――!」
「……妹への恋?」
「へ?」

 ハルアはやはりものすごく冷たい目でおれを見た。そして、ギルドカードを汚いものでも持つみたいにベッドサイドに落とした。
 おれは呆然として汚物扱いを受けたギルドカードを見た。のろのろと手を伸ばし、ギルドカードを見て、呆然とした。

(な……さっきまではなかったのに……!?)

 恩恵が一つ、増えていた。

【妹への恋】

 おれは今、禁断の恋心を抱いているらしい。
 自力で気づく前に何故かハルアに知られてしまった。
 ハルアが知る原因となった聖女は、汲んできた水をハルアに渡すと、「うふふ」とむかつく笑い方をして言った。

「これで四つ目、ですわね」

 そう言って、持っていたバスケットの中からパンを四つ、おれたちにくれた。







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