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旅立ちの日


 父アラルドがアイリスを抱えて消えると、カロリーナが弾かれたように動き出した。

「お父様のいない家になんて用はないわ。これで永遠にさよならね、エイブリー、ステファン、エリーゼ、リール!」

 門扉の外で馬のいななきがあった。カロリーナはいつの間にか馬車を呼んでいたらしい。エリーゼも見たことのある生気のない目をした御者が、屋敷の中から纏められた荷物を運び出しては積んでいく。
 カロリーナは屋敷に入ってすぐに旅装に着替えると、エリーゼたちに笑顔を向けた。

「生まれてから二十年以上も家族と暮らした魔族なんて、きっとわたしたちくらいなものよ。あなたたちとの別れは寂しくないけれど、面白かったのは本当よ」
「姉上、俺はこの家を守り続けるつもりだ。だからどこで何をやるにせよ、ハイワーズ家の名に泥を塗るようなことだけはしないでくれ」
「エイブリーったら、家思いね。あなたがいてくれるからわたしは心おきなく飛び出せるわ」

 心にもなさそうなことをすらすら言ってから、カロリーナは少しだけ不機嫌顔でステファンを見やった。

「……困ったことがあったら、少しだけだけど、助けてあげるわ、ステファン。面倒だけど。家族だから……助けないといけないかしら?」
「母上の遺言を尊重するかどうかは、姉上が決めればいいことです」
「そんな言い方やめてちょうだい、リール。尊重するしかないじゃない。お父様に嫌われてしまうわ」

 諦めたように言うと、少し肩を落としてカロリーナは荷物を積み終えた馬車に乗りこんだ。

「どこかの位の高い方に取り入って、大金持ちになってみせるわ。そうなったら手紙を書くわね。お金の無心ぐらいならいつでも受け付けてあげるわ!」
「それは助かる」

 ぼそりと言うエイブリーにつややかな笑みを向け、カロリーナは家を去っていった。
 次にエイブリーが立ちあがった。

「陛下、今宵は俺の屋敷に泊まりますか? それともお戻りになられますか?」
「戻る? どこへ」
「陛下が住まうべき場所、宮殿です」
「……誰が僕を受け入れてくれる? こんな異常な形で譲位された僕を」
「どういうことでしょう? あなたが陛下です。受け入れる受け入れないの話ではない」
「……誰か助けて」

 しゃがみこんだデザイートスが顔を覆う指の隙間からエリーゼに目配せしてきた。エリーゼはさっさと逃げ出してステファンの方に寄って行った。

「ステファンはどうする?」
「僕は勇者らしいから……それらしいことをしてみる。まずは、この国の迷宮を回ろうと思う。おまえは?」
「私はこの国から逃げる。……私のせいで地位を追われた人たちに会いたくないから」

 初め、それは後宮での地位を奪う形になった貴族のご令嬢だけだったのだが、今や王とその一族までもがエリーゼを恨むだろう。
 誰もデザイートスの戴冠にエリーゼが関わっているとは思わないかもしれないが、一人だけ、エリーゼの関与を疑わないだろう人物がいる。

「タイターリスは……私を恨むだろうから」
「おまえの兄である僕も恨まれるのか?」
「ステファンは勇者だから大丈夫じゃない?」
「――それに引き換え、姉さんとボクはいつ死んでも困らないので。格好の復讐の対象になるでしょうね」
「一番に狙われるのは僕だろうがな!」

 デザイートスが叫んだが、エリーゼは彼のことはそう心配していなかった。

「守護精霊が味方なんだから大丈夫でしょ。頑張れ頑張れ」
「僕が困ってたら戻ってこいよ……! ほとんどおまえのせいでこうなったようなものなんだからな!」
「エイブリーお兄様がいてくれるじゃん。竜殺し(ドラゴンキラー)のお兄様と守護精霊に守られるんだから安全じゃない? 知らないけど」
「絶対に戻ってこいよ!」
「モテる女はつらいなー」
「かけらも思ってないだろ、辛いとか! 言っておくけど僕もおまえのことなんかなんとも思ってないからな!」
「私たち、離れててもずっと友達だよデザイートスさん! ということで、リール、私たちも荷物纏めて夜明け前に町を出よう」

 デザイートスが他にも色々わめいていたが、エリーゼは特に気にせず屋敷に戻った。いつも通り閑散としていて静まり返っている。
 階段を上がり部屋に入るとエリーゼは手早く荷物をまとめた。談話室を挟んで隣にあるリールもすぐに小さな荷物を持って部屋から出てきた。
 大広間に降りるとリールはさっさと屋敷を出て行こうとしたが、エリーゼはこれまで滅多に寄りつかなかった部屋に寄ってみた。
 母アイリスの寝室には先客がいた。

「アカ……クロ」
「ねえ、エリーゼ。前勇者アイリスに仕えた精霊たちの持ち物、わたしたちがもらってもいいと思う?」

 アイリスの寝台の下から装飾のある箱を引っぱりだして、アカがその中を覗き込んだ。中には古びた革の袋や、銀のナイフや、陶器の器や、その他細々としたものが収められているようだった。
 アイリスが倒れると同時に消え去った精霊たちを思い起こしながら、エリーゼは頷いた。

「いいんじゃない? お父様は気にしないだろうし、お姉さまは勿論だし、エイブリーお兄様のことは気にしなくていいよ。金目のものを持ち出したら煩そうだから、隠して持っていきなよ」

 アカは頷くと、革の鞘に入った銀のナイフを取りあげて、大事そうに懐にしまった。

「精霊も、同じ精霊の死は悲しいの?」
「死ぬのは恐くないわ。だけど、消滅は恐ろしいわ。――例えステファンがそれで幸せだと言おうとも、わたしは魔族に魂をあげるなんて許せない」

 クロは壁にかけられたアラルドとアイリスの肖像画を睨みつけた。
 アカは窘めるようにクロを見た。

「わたしたちが許すとか許さないとか、言う問題じゃないと思うんだけど……クロ」
「わたしたちが守ってあげればそういうことにはならないわ、アカ」

 彼女たちはステファンの精霊。エリーゼとうり二つの容姿をしているのはともかくとして、対の存在のはずなのに、意見が食い違うらしかった。

「わたしはステファンの手伝いをしてくるわ。エレナとリーラの持ち物になんか興味ないもの」

 クロはエリーゼたちにきっぱりと言って部屋を後にした。ステファンも部屋で荷物を纏めているらしい。

「エリーゼも何かもらっていくの? アイリスの持ち物なら、そのクローゼットの中にあるわ」

 アカが言うクローゼットをあけると、小さな部屋のようになっていた。中にはいくつものドレスや、靴があった。積み重ねられた小さな箱のうちの一つをあけると装飾品が入っていた。

 エリーゼは溜息をついて貴金属を元の場所に戻した。置いておけばエイブリーが処分するだろう。
 お金になるものが欲しいわけじゃなかった。

「……エリーゼ様」

 声をかけられ振り返ると、そこにはメイド頭がいた。
 今となってはメイドは彼女一人しかいないから、頭というのも変なのかもしれない。

「アイリス様が大事にしていらしたものはすべて、そちらの机の抽斗にございます」
「ありがと……よく知ってるね」
「開けることを禁じられていましたから、知っているのです」
「あなたはこれからどうするの?」

 一家離散といっていい状況になったハイワーズ家。
 この家の大黒柱である父アラルドを目当てにこのメイドは働いていたはずだ。彼がいなくなった今、この老いた女性はここにいる理由がないように思える。

「……追い出されるのでなければ、これからも変わりなく、お仕えいたします」
「デザイートスのお母さんみたいに、エイブリーお兄様が好きなの?」

 見事な乗り換えぶりを見せた彼女の姿を思い浮かべたのか、メイドは強張った唇の端に小さな苦笑を浮かべた。

「いいえ……今となってはもう、何も望んでおりません。ただ、変わらぬ毎日を過ごしたいだけでございます」

 ここが生家であるエリーゼにとってすら異常だと思えるこの屋敷での生活が彼女の人生そのものらしい。
 彼女のことは好きでも嫌いでもなかったが、今更になって少し可哀想に思えてきた。
 エリーゼの憐憫の表情から逃げるようにメイドは部屋を後にした。

 抽斗のある机の上にはレターセットが置いてあったが、使った様子はなかった。
 抽斗をあけるとからころと音がした。中に入っていたのはガラクタに見えるおもちゃのようなものがいくつか。

 ただ一つ目を引いたものがあった。それはクローバーのような小さな黄色の花で編まれた花の指輪だった。小さな四つ葉と花がアクセントになっている。

「……もしかして、枯れない花の指輪?」

 ずっと抽斗の中に入っていたのだとしたら、そういうことになる。

「かわいい」

 摘まれたばかりのようにぴんと花びらは開き、茎もみずみずしい。かつて、アイリスが精霊か何かにもらったのかもしれない。
 試しにエリーゼが装着してみたら、右手の薬指にぴったりと嵌った。

「もらっちゃっていい? お母さま……」

 抽斗の中には他にも色々入っていた。潰れた硬貨のような歪つな鈍色のコイン、象牙のような白い艶々とした材質の笛、ごわごわとした毛皮の小さな袋、その中にドングリ。  ガラクタにしか見えないが、貴重なものかもしれない。失くしたくないから持ち出さないことにして、静かに抽斗を閉めた。

 大広間に戻ると、そこにはステファンとリールがいた。ステファンの足下にはアカとクロもいた。
 開け放たれた門の向こう側、屋敷の前でシーザとディータが立っていて、こちらも旅の準備は万全だという姿だった。
 特に重い荷物はシーザに持ってもらい、当座の食糧問題は解決した。

「姉さん、とりあえずは出札所まで一緒に行くことになりました」
「ステファンはヴェンナに行くの? ヘリエステルまではついて行ってあげようか?」
「必要ない。ジュナたちを連れていく」
「仲良くなったんだ……どれぐらい?」
「邪推するなよ、バカ」

 ステファンに軽く小突かれてエリーゼはむっとしたが、すぐに気にならなくなった。
 乗合馬車の集散所にはまるで示し合わせていたかのようにジュナたちがいた。
 ステファンがジュナたちを呼びに冒険者ギルドに行っていた間、エリーゼはジュナと話していた。

「あんたの兄さんは困った男だね」
「困らせられたの?」
「そうさ、とてつもなく困ってる。だけどついていこうっていうんだから、あたしも馬鹿だよ」

 ジュナは困っているようには見えたが、嫌そうではなかった。それを見ていたエリーゼはむずむずして腕をかきむしりたくなったが、それを我慢して言った。

「ヴィルヘルミナよりはマシ……ジュナさんの方がいい……!」
「もしかして、勇者様の女の名前かい? ヴィルヘルミナって」
「精霊神教会の聖女だからね、ジュナさん。注意してね!」
「わかったよ。たっぷり注意して、近づけさせないようにすりゃいいんだね? 妹のエリーゼの要請だ。理由は知らないが、それに従うのはおかしかない」

 ジュナの側にいる男二人はエリーゼのように我慢せず頭をかきむしっている。
 かゆくて仕方がないのか、それともジュナの言動の端々からうかがえるステファンへの好意が気にくわないのかは判然としない。

「おい……クエ、ミゲロ! やめておくれ、ふけが飛ぶ」

 ジュナが嫌そうな顔をすると、二人はしょんぼりと肩を落とした。
 精霊を従え走って戻って来たステファンは、既にエリーゼたちと合流しているジュナたちを見て驚いた。

「ジュナ、僕についてくるために待っていてくれたのか?」
「さあ。ただ馬を眺めていただけだよ」
「僕は、ジュナがついてきてくれたら嬉しい」
「……ああ。まあ、損はなさそうだから、一緒に行くさ。勇者様とね」

 ステファンが笑顔になるのを見て、ジュナは奥歯に美味しい物が挟まったような顔をした。
 嫌ではなさそうだけれど、ものすごく困った表情だ。
 そそくさとステファンに背を向けて馬車に乗りこんだジュナに続いて、エリーゼも乗り込んだ。

「女ったらしー」

 言いながらステファンの脇腹を小突いたら、頭の上に拳が落ちてきた。
 ジュナの隣に座ったら、聞こえていたのか、たくましい指で額にデコピンをされた。

 アーハザンタスを離れてしばらく、駅に着き、駅馬を替えてそれぞれ目的地に合わせて違う馬車に乗り込むことになった。
 ステファンたちは迷宮都市ヴェンナへ。
 エリーゼたちは――。

「リヴァーサ王国へ!」
「あそこも冒険者ギルドがありますから、特に問題ないでしょう」

 アールジス王国へは、政情が安定するまでは戻れないだろう。特にエリーゼの場合は。
 安定したとしても、デザイートスの前王とその一族への対応の仕方によっては、エリーゼにとってアールジス王国は鬼門のままだ。

「とんでもないことに巻き込まれちゃったわね、ディータ」
「わくわくしますね、シーザさん」
「あなたの頭わいてるんじゃない?」

 深い溜息を吐きながらも、シーザは馬車に乗りこんだ。この馬車の行き先はアールジス王国の東南にあるリヴァーサ王国に至る為の途上にある。
 ディータを押し込むようにしてエリーゼも続いた。薄暗い幌馬車の中に荷物を抱えて腰を降ろすと、エリーゼは溜息を吐いた。

「――タイターリスが、無事にこの危機を乗り越えられるといいけど」
「死んでくれた方が後々面倒にならなくてよさそうですが?」

 エリーゼの隣に乗りこんだリールの言い草にエリーゼは苦笑した。

「恨まれたり、憎まれたりするのは嫌だけど、そんな風には思えないな」
「旧知の仲だから、ですか? それとも一応は婚約者だったから――そんなに甘いままじゃ生きていけませんよ、姉さん」
「甘いかなぁ……私、随分厳しくなったと思うんだけど」
「――甘くても構いませんけどね。ボクが近くにいれば守ってあげますよ」
「近くにいなかったら?」

 アラルドに命令をされ、足止めを食らった時のように――エリーゼがそれを想像したように、リールも思いだしただろう。
 リールは無表情で答えた。

「……その時には、姉さんの周りにいる男が守ってくれるんじゃありませんか? ボクが側にいない間、随分と『モテた』らしいじゃないですか」

 リールが話題を出した瞬間シーザとディータが就寝した。ディータの方からはかすかないびきさえ聞こえる。達人芸だった。

「寝たふりしないでよ! 二人が余計なこと言ったせいで面倒なことに!」
「時間はたっぷりありますから、今は寝かせてあげたらどうです? ――ディータにも色々聞きたいことはありますが、今はいいですよ。今は」

 ディータの寝息は一瞬乱れたが、それ以外は完璧だった。
 シーザは楽しい夢を見ているのか笑いを堪えるように肩が震えている。多分寝ていない。
 エリーゼも寝ることにした。荷物を抱えるように枕にして目を閉じると、リールもそれ以上は何も聞いてこない。

 閑散とした通りを抜け、処刑台と墓場の横を過ぎ、なだらかな丘陵の合間に整備された道を進んでいった。
 デザイートスが治める国では魔族や魔族の子でも安心して生きていけるだろう。
 何しろ彼の国を守護する若い精霊は魔族を愛した人間としての過去を持つ。
 彼を守護する恐らく最も忠誠心に満ちた騎士は魔族と人間のダブルだ。

 デザイートスの国ができた暁には家に戻ろう。
 その日まで、リールがエリーゼを守ると言ってくれているように、エリーゼもリールを大切にしていきたい。
 エリーゼが頭の場所を荷物の上から隣で本を読み始めたリールの肩に移し替える頃、シーザも本当に眠りに落ちたらしく、ディータの肩に頭をもたれていた。

 ディータは囁くような声色で「クマを絞め殺す夢だけは見ないで……」と寝言を言っていた。







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