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第一章ダイジェスト前半


高校の門の前で通り魔に刺殺されて、生まれ変わったのは剣と魔法のファンタジー世界。
 新しく手に入れたのは美しい家族たち。
 だけど何一つ面白いことなんてない。世界には魔物がはびこり戦争はあたりまえに頻発している。貧富の差はめまいがするほどだ。家族の大半は顔が美しいけれどそれだけで、前世をまともな家庭で育った私にはありえない環境だ。子供の世話をしない親に冷たい兄、出稼ぎに行く姉には頼ることができなくて、貴族の家に生まれたはずなのに浮浪児と変わらない暮らしを送る……。

「早く、元の世界に帰りたい」

 四歳の時。そういつものように願っていたある日の午後、美しく妻に対する愛だけがまともな、無責任で放蕩者の父親が、戯れにくれたパンを胸に抱いてから――。
 その後の記憶が一切ない。





 この異世界で生きるということは夢を見るようなものかもしれない。
 何せ何もかもが夢のようにありえないことで満ちているのだ。ここには科学が存在しない。どこか茫漠とした意識で生きているから、たまに記憶が抜け落ちることもあるのだろう。幸せなことではないのは確かだ。

 何か面白いことはないかな、と探していた時、見つけたのが特許申請。と言う名の精霊との契約。五歳の時のことだった。

「トランプを特許申請したら、どうなるかな?」

 見事、トランプの特許を申請することに成功した。
 しかも、数週間後にはその申請のおかげで信じられないほどの大金を手にすることに成功した! ――けれどあまりの大金だからだろうか、これまでの生活との落差のせいか、胃が急に痛みだして、最後には血を吐いて倒れてしまった。
 ひどい体験だった。そのせいで、血反吐を吐いた大聖堂という施設には近づけなくなってしまった。中へ入ろうとするとどうにも具合が悪くなる。

 せっかくのチートなのに堪能するどころじゃない。
 それどころか、チートのせいで血を吐いた。

「チートなんてくそくらえ……!」

 行動しないよりする方がいい? そうだろうか。何もいいことなんてなかったのに。
 ここは異世界だから、そんなものなのかもしれない。





 十五歳というとこの世界では成人だ。私は冒険者になることにした。
 冒険者というのは言葉から連想できるイメージで大体あってる。魔物を退治したり、その素材を集めてお金を稼ぐ人たちだ。彼らは変わり者が多くて、その中でなら私の異常も浮かないだろう。

 けれど、なんと一番上の兄に冒険者の道を阻まれた! 彼は私を後宮へ入れるという。  最低だった。私が考えてきた人生計画がむちゃくちゃになる。だけど対抗することなんてできはしない。兄はとても優秀な騎士。美しい貴族の鏡のような人。五歳児のエリーゼが勝手に外を歩きまわったり、浮浪児のまねごとをしていても注意を払わないくらいにおかしなひとだ。けれど、頭が悪いわけじゃない。

 次男であるもうひとりの兄に身づくろいをしてもらう。一番上の兄もこの兄も、私のことが大嫌いだ。私が母親にうり二つで、父親の愛を独占していると思ってる。愛されてなんていないのに。私の顔は気にいられてはいるんだろうけれど、私達の父親の私に対する感心は、愛と呼ぶのはおこがましいくらいに無に近い。
私の方はと言えば、よくわからない。二人の兄は美しかった。美しいこの異世界の一部だった。物語とかで見る分には好きになるだろうな。美形は世界の宝だよね。だけど、現実ではお近づきになりたくない。よかった、ここが異世界で。

「精霊に愛された女の娘。おまえに精霊の加護がなくとも、その子や孫に、精霊が祝福をくださる確率は高い」

 王様のいる場所まで連れてこられた。私たちの母親はどうやら「精霊に愛されている」という状態で、「精霊の加護がある」らしい。それは世間的に見て良い状態なんだろう。その血縁者も同様の状態になることがあるらしくて、この王様は私が子供を生むことを期待している。
 貴族の娘だから国のために尽くすべき? ありえない。貴族の娘としての特権なんて何一つ味わったことなどないし、そういう教育を受けたこともない。
 早く逃げなくちゃ。でも今は無理。時機を見てこの国を逃げ出そう。

 なんだか妙な話だけど、私が産むよう求められているのは王様の子供じゃなくて、この国の王位継承権を持つ誰かでよくて、尚且つ後宮の出入りは自由なんだそうだ。
 なんでも、この後宮は王宮を抜け出すくせの多い女好きの王子様のために作られたんだそう。一番上の兄は私に王子様を落とすようにとか無茶ぶりをする。無理だとわかりきっているくせに。

 前世でのイヤな記憶を思いだす。
 前世、私のためを思って、お父さんやお母さん、私の周りの人たちが、そろって私の意志を無視して事を進めてしまった。

 あの時とは似ているけれど全然違う。私は家のために、私の意志を無視されている。……けれどやっぱり状況が似ていた。似たような境遇に陥るのは、私がそういう性格をしているせいなのだろうか。





 後宮は出入り自由!
 王様はそんなニュアンスのことを言っていたし、一番上の兄もそう言った。
 後宮の女官長だって私にそう説明した。もう誰も私を止められない。侍女の胡乱な視線が痛いけど、無視して私は外へ出た。
 目指すは冒険者ギルド。私は当初の予定どおり、ギルドに加入するつもりだった。

 ……だけど断られた。なんで? うら若い女の子が冒険者になるもんじゃないとか言われる。どうやら心配されているらしい。物凄い有難迷惑だ。私にだって色々事情がある。

 押し問答してたら弟が現れた! 天の救い。弟のおかげで冒険者になることに成功した!
 だけどちょっとまって。発行してもらったギルドカードの様子が、可笑しい。

 挙動不審になってしまったせいで勘ぐられる。ギルドカードに記載されていた私の個人情報の内のひとつ、所持金の欄がなにやら凄くて胃が痛い! トランプがもたらした大金に、ここ十年手をつけていないんだからそれも道理だ。さっそくこの世界で浮く要素が出てきてしまった。他にもあまたいる異常な冒険者たちを隠れ蓑に、隠し通すことができるだろうか。

 それにしても弟がやけに気にして来る。他の兄たちとは違って可愛がってきた弟だけど、やけにツンツンしているからたまに不安にさせられる。ここで突っぱね過ぎたら更にツンツンになってしまうかもしれない。仕方ないから、他の何かを見せて納得させるしかない。
 この世界にあってもおかしくはないけど、それなりに珍しい何か――。

 見せられるものを見つけて、一応弟に確認をとる。

「たぶんすごく、残念な気持ちになると思う」
「それならとっくの昔からそうです。さっさと言ってくださいよ」
「……お姉ちゃんのこと、嫌いにならない?」

 弟の反応は微妙だったけど仕方ない。仕方なく見せたのは【美貌に弱い】とかいう恩恵ギフト。恩恵っていうのは加護とは違って、わりとみんなが精霊からもらえる特殊能力。それにしても【美貌に弱い】の能力の中身のふざけたことと言ったら! 笑えばいいのか泣けばいいのか、私は美貌からの攻撃に強いらしい。ドM的な意味で?

 何故か、弟は笑いも泣きもしないで怒ってしまった。傷つけた? え? どうして?

 弟に拒絶された私に説明してくれたのはギルドマスター。彼がいうことには、私がこの恩恵を持っているのは私が美貌の家族と一緒にいるのを苦に思っている、と弟に思われたからではないかということだった。一例として、恩恵は必要としている人に与えられる。私にはこの恩恵が必要だった。生きるために。そう思われたのだ。弟に関してはそんなことはないのに。

「嬢ちゃん、あまり落ちこむなよ。精霊の恩恵っていうのは、気まぐれなもんだ。それを与えられた方の嬢ちゃんが落ちこむことじゃない。……嬢ちゃんの恩恵は、ほとんど精霊の呪いバッドステータスだよ」
「バッドステータス?」
「精霊に押しつけられた恩恵によって、行動が制限されたり、選択肢を狭められたりする。望まぬ運命だとそれを呪うやつもいる。あんまりお行儀のいい言葉じゃねえから、外で言うなよ。精霊を信奉してる教会のやつに聞かれたら、どう思われるかわかるな?」


 さすが異世界。色々と怖いところだ。





 なんか他にもギルドカードには色々書いてあった。気配察知、逃げ足、警告と言う恩恵とか、精霊クエストなんて怪しげなものまで。何故だか精霊はトランプの新しい遊び方を考案して欲しいらしい。語尾に星でも付きそうな文章でかかれたクエストを見て、これまで持っていた精霊のイメージがガラガラと崩れた。

 その後、反逆の狼煙とかいう中二ネームの冒険者にからかわれたり、精霊神教会っていう人間至上主義の宗教から人外疑惑をかけられたりと色々あったけど、まあ概ね悪くない。当初の予定通り、冒険者になれたんだから満足だ。

 びっくりしたのは家庭内不和だ。別に元から仲のいい家族じゃなかったけど、これまでそれほど悪くない関係だった二人の兄が喧嘩した。よくわからないけど、下の兄が不愉快なことを言って家から出ていった。戻って来なければいいのに。

 私はといえば後宮を入ったり出たりした後、本格的に冒険してみることにした。
 後宮は慣れたら本当に住み心地がよさそうだったけれど、私はその前に自分が異常なステータスを持っててもおかしくない、と思われるような環境下に置かれたい。迷宮の中っていうのはそういう不思議な環境なのだ。せっかく成人したし、つまりは街から一人で出れるようになったということなので、今私がいる王都の西にある街へ行くことにした。 その街は迷宮都市なのだ!

 だけど阻まれる。お節介なギルドマスターから派遣されてきたのは中二ネームの反逆の狼煙さんだった。むかつく! 今、すごくやる気だから邪魔しないで欲しいのに。ちょっと怖いけれど、頑張って新しい一歩を踏み出そうとしているのだ。私は中二病さんの手を振りきって街の外へと続く門へと駆けだした――けれど、外へ出れなかった。

 その前に血反吐を吐いて私は倒れた。何が起こったのか、わからない。
 私はまたできなかった。せっかくの起こした行動が、無駄になった。

 臆病? それとも病気?
 意味がわからないことに、門から離れればたちまち快復した。そんな私を見て反逆の狼煙は何故だか突然キレた。意味がわからない私に私が病気や呪いの類ではないことを確約してから、罵詈雑言を叩きつけてどっか行った。ショックを受けている私に非道な仕打ちだ。

 あまりにも異常な事態に私は混乱した。一体何故だろう?
 ここが異世界だからではないだろうか。つまり、常識では理解できない出来事が起きている。この世界で、そういう現象を引き起こすのは大抵精霊だ。私は精霊のせいで街から出れない……どうして?

  色々考えていたら恐ろしいことに気が付いた。

「前世の私の名前、なんだっけ」

 きれいに残っている昔の記憶。それなのに、普通そんなこと、忘れるはずがない。





 四歳上の兄。だからつまり今年で十九歳になるはずだ。
 そんな兄が精霊神教会に入り浸っている。そのまま戻って来なければいいのに。

 それにしても懐かしい。精霊神教会。昔ご飯がない時に、よくパンを貰いに通ったっけ。師父のお話を聞くと何かしら貰えるのだ。教訓とか、神話とか、『赤の勇者の物語』――昔昔、千年くらい前、精霊に愛された赤の勇者が魔王を倒した物語。それを大人しく聞いて、聞いていた証拠に師父の簡単な質問に答えれば、一日糊口をしのぐことができた。

 今では私がギルドカードを見てした変な反応のせいで、教会の人に人間じゃないんじゃないかって疑われている。多分まだ疑われている。私をこそこそ付けまわすひとはまだいるのだ。でも気にしないことにする。だって、ギルドカードにはちゃんと私の種族は人間だって書いてある。万が一の時にはそれを見せればいいだろう。

 師父とか聖女とかにも疑われていたりして。聖女というのは精霊神教会のシンボルだ。大きな街には大抵ひとりいる。もしも人間以外の種族が師父とか聖女の前に引き出されたら、どうなるのかは知らないけど――あんまり面白くない目にあうのは確実だ。





 冒険者ギルドにいったら弟に会った――そしてなんだか心配された!
 私が西門の前で倒れたことは既に広まっているらしい……それは嫌だな。けれど弟に心配されるのは嬉しい話だ。なんだかこれをきっかけに仲直りできそうだった。

 それはともかく、私はギルドマスターに突撃した。知りたいことがあったからだ。
 何を隠そう精霊の呪いバッドステータスとやらについて。
 反逆の狼煙がブチギレたとき、私が血反吐を吐いたのはバッドステータスだとかなんだとか喚いていたのだ。むかつくけど参考にする。もしも状態異常にかかっているなら、私はそれを解除したい。

 ギルドマスターは私と弟に話してくれた。その内容は凄惨なものだった。うっかり反逆の狼煙に同情してしまう内容だった。反逆の狼煙は、【人助け】とかいう恩恵のせいで――精霊の呪いのせいで、無罪の獣人よりも有罪の人間を助けてしまったことがあるのだ。悪人が助けを求めていたら、例えどんなに良心的な亜人とでも敵対してしまうのだ。
 よくわからないけど、反逆の狼煙は私がくだらない願いのために精霊の呪いを負ったものだと思ったらしい。自己投影して自己嫌悪して、私に怒鳴り散らしたらしかった。どういう誤解だか知らないけど、相当なトラウマだと思うから許そうと思う。

「しばらく後宮で養生してください。少なくとも三日は出てこないようにしてください! 病み上がりなんですから。――そしたら貴女と一度くらい、パーティを組んであげますよ」

 なんと弟が機嫌を直すだけでなくパーティに誘ってくれた! もう反逆の狼煙なんてどうでもいい!

「精霊の呪いバッドステータスの解き方について知りたいなら、俺よりもタイターリスに聞きな、嬢ちゃん。あいつはその糸口を、既に掴んでる」
「――ありがとうございます!」

 ギルドマスターにも感謝だ。糸口が見えてきた。タイターリス=ヘデン反逆の狼煙ともこれから関わることになりそうだ。





 弟が人を集めてくれて、私は初めての六人パーティに参加した!
 けれどお荷物的な扱いだ。ちょっとしょげていたけれど、私の持ってる恩恵ギフトはそれなりに使えるやつだったらしい。【気配察知】は魔物にも効果はばつぐんだ。

 反逆の狼煙さんも謝ってくれた。誤解とわかってくれたらしい。いやいや、もう心の中で反逆の狼煙と呼ぶのはやめておくことにしよう。彼も中二病が治る年頃だし、キラキラネームと言うほどじゃない。失礼だしね。名前をちょっと古風な言い回しで解釈するとそうなるだけだし、微妙に発音も違うしね。

 意気揚々と迷宮の中に入った――地震が起こった! そのどさくさで私は魔物に噛みつかれた。前世の死際がぐるぐると頭の中に回って吐き気がした。殺される前に殺してやる。

 そうして私は初めて魔物を仕留めたけど、悠長に初勝利を祝ってられるような状況じゃないみたいだった。地震は迷宮の異変らしい。すぐさま迷宮を出たら緊急クエストやらが出されることになったみたいだった。

「緊急クエストは、新規迷宮の発生を阻止せよ! だね。詳細は各々、中に貼ってあるクエスト掲示板を見るんだよ」

 色々わからないことは多いけど、上位クラスの冒険者は何か異様な気配を感じ取っているらしい。それで、その異様な気配が何かしたとき一番ヤバイことになるのが新規迷宮の発生なんだそうだ。悪霊が血とか恨みとかに穢れた人間を苗床にして迷宮を発生させるとかなんとか。一番餌食にされやすいのが冒険者だから、冒険者を隔離することが目的だそうだ。

 パーティごとに隔離して、悪霊にとり憑かれた冒険者はその仲間のパーティが殺すのだ。悪霊はそうすると弱体化するか、消滅する。

 私は危ないからって冒険者をやめるよう勧められたけど、こんないかにも面白そうなイベントを逃すのなら冒険者になった意味なんてないじゃない。
 剣と魔法のファンタジーな世界でこういうファンタジーな経験をするために生まれてきたんじゃなかったら、何のために殺されなくちゃならなかったのか、わからない。





 私たちのパーティはこの街の冒険者たちの中で唯一迷宮に隔離されるメンバーだ。  迷宮に何泊かしなくちゃならないとあって女冒険者がめちゃくちゃ不機嫌になっている。ピリピリしているけれど、私は楽しみだった。楽しみにしている私を見て彼女はまた怒っていた。

 それにしても、彼女は平民出身らしくて、貴族があんまり好きじゃないらしい。私にちょっと冷たかったけど、私の境遇がへたな平民よりも辛いものだと説明すると態度が少し軟化した、気がする。
 どうやら彼女の故郷の村は横暴な貴族によって滅ぼされてしまったらしい。可哀想だけれど、魔物の大侵攻とやらを利用して、重税をかける領主とか、物凄くファンタジーな内容と現実離れした感覚に、思わず私は笑ってしまった。嬉しくて。

 失礼なことをしてしまった。彼女は不機嫌になった……と同時に、何故か私を対等に認めてくれるようになった。やっぱり冒険者というのは変な人だ。彼女から見れば、私も変なのだという。この調子ならまぎれられそう。冒険者になって本当によかった。

 迷宮で過ごすうちに、弟が持っている本に気が付いた。それは『赤の勇者の物語』。古代語で書かれている童話。昔私があげたものだ。それを大事に毎日持ち歩いて、魔法の触媒に使ってくれているという。弟に嫌われてはいなかったらしい。朗報だ。

 それにしても、勇者か。
 私がこの世界に生まれてきたのは、勇者に選ばれるためだっていうのなら、話はもっとわかりやすかったのに。それなら私が前世に死んだことにも意味があった。そう思える。けれど現実は恐ろしいくらいに無情だった。

 女冒険者と話していたとき、何かが私の直感に障った。
 何を思う暇もなく、私の口から言葉が発せられ、前触れなく次々と落ちてきた天井のがれきから避けるための指示をパーティに出すことができた。恩恵の【警告】が発動したらしい。

 迷宮が作り変わった。私と弟の前には壁ができ、それ以外の人たちと分断された。
 もしかしたら迷宮が広くなったあげく、出口がものすごく遠くなっているかもしれない。そんな不安に駆られながらも、私は恩恵の使用による疲労を癒すため、崩れるように眠りに落ちてしまった。





 私は弟に絵本を渡したときに何かを言ったらしかった。
 ちょっと興味あるけど、眠りから目覚めた私に弟がもちかけた取引に乗る気はなかった。
 私は寝言で前世の家族を求めたらしい。『お父さん』『お母さん』それが一体どこの誰なのか、弟に言う気なんかこれっぽっちもない。

 けれど弟は私が断る前に私が口にした言葉を言ってしまった。

「読み聞かせをするなんて、本当に弟ができたみたいで嬉しい、と」

 私は言ったらしい。言ったかもしれない。私は前世、兄弟がいなかったから。
 ああ、だからか。弟がある時から急によそよそしくなったのは。そうなるのもあたりまえだ。どうしてすぐに気づかなかったのだろう。

 引き換えに私に本当の家族について言うよう求める弟だったけれど、気配察知に引っかかる気配があったから話は中断だ。ほっとした。魔物かと思いきや、フラフラ出てきたのは人間の子供だった。ひどいありさまだったけれど、歩いてるってことは生きている。

 この階層にひと型の魔物は出ない。出るのは異形の動物だ。ということはお小遣い稼ぎで迷宮に潜ったあげく、道に迷った子供だろう。私たちが見つけてあげられたのは幸運だった。助けてあげようと近寄った。

 ――そしたら、刺された。
 昔刺されたことのある場所。それは死そのものだ。信じられない。助けてあげようとしたのに。刺されてしまった。さいあくだ。またしぬのかもしれない。

 ありえない。そのまえにころさなきゃしんでしまう。

 だから目の前で倒れた真っ赤な目をした子供の頭をふみつぶした。





 闇の中で気が付いた。そこは嫌な場所だった。
 前世の私の思い出が、次々と流れていく。その中で、何故か自分の顔がわからない。暗く翳っている。ただ見えるところはある。なんだろう、あの黄色い肌は。私はあんな色をしていただろうか。

 気分が悪くて顔を逸らしていたら、声が聞こえた。これもまた嫌な声だった。本来あるべき質を捻じ曲げたような甲高い音。――恐らく、悪霊。それが意地悪く私の心の隙を突いてくる。
 そいつのせいで、私は前世の顔を見て驚愕した。似ても似つかない。
 そいつのせいで、お母さんの顔が見えなくなった。ひどい、許せない。

 だけど、混乱の最中で酷く気になる言葉が耳についた。

『上位世界の魂というのは、ここで見逃すのがもったいないほど美味しいのだけれどもね。君の心に隙があって、こうして入らせてくれる今のうちに、食べてしまいたいのが本音だよ。だけど、君が嫌がることをしたりしたら、僕を怒る人がいるから、仕方ないね』

 上位世界? なんの話だろう。
 もしかしてこの異世界から見たときの、私の世界のことだろうか。

 黒い闇が白い光によって晴れていく。声はだんだんと低くなっていく声で言った。

『時間切れかな。では最後に、一つだけ。君のために教えてあげようね』
「何、を」
『リールが君を殺そうとしているよ』

 その言葉であらゆる思考が吹きとばされた。





 弟リールが私を殺そうとしている。何故なら私が悪霊に憑かれたから。
 初めから、悪霊に憑かれた人間は殺すことになっていた。そのためのパーティだ。そのためのクエストだ。
 そんなことはわかっている。けれど許せる? 殺されそうになっていたなんて。

 私は許さない。殺されるよりまえに殺そうと思った。だから弟の首を絞めにかかる。
 弟ははじめ抵抗していた。けれどやがてもがくのをやめた。苦しいだろうに。辛いだろうに。どうして? 理解できない私に弟が笑う。

「姉さんの、信頼、裏切った、ボクが、悪、い、です」
「死んじゃったら戻れないんだよ。もう二度と、会いたいと思っても会えないんだよ」

だって、違う世界にきてしまった。

「会いたくても、会えないんだよ。会ってもきっと、もう、わからないよ」

 だって私は変わりすぎた。顔も違うし、肌の色も違うし、そう、何もかもが違う。
 あの子は私と違って友達がたくさんいたし、物乞いをしたことがないし、魔物を殺したことだってなくて、おまけに人の首を絞めたこともないだろう。

「あの世界には、戻れない」

 私にとって、もはやあの世界こそが異世界で、ここが私の世界なのだ。
 それは衝撃的な感覚だった。信じられない、うそだ、まさかそんな。そううわごとのように呟きそうだった。

 そんな私の掌の下で、弟の様子が変わった。赤い唇をしならせて笑う、その笑顔はぞっとするほど美しかった。

 弟は私を口説いた。私に殺すようにと熱心に語った。懇願したと言ってもいい。実に嬉しそうに、私とはまるきり違って殺されることをよしとして、私を笑顔で許していた。

「姉さんを殺そうとしたボクが悪いんですから、いいんですよ、殺してください。姉さんは悪くない――」

 可哀想だった。殺されそうだった私の何百倍も可哀想だ。
 この弟が一体何をしただろう。私を殺そうとした。殺さなくてはならなかった。あたりまえだろう。私だって逆の立場なら殺さなくてはならなかった。だって、そうしないとこのあたり一帯にいる人間はみんな死んでしまう。迷宮生成がどういうものかはわからないけれど、その中心にいて助かるとは思えない。

 私が悪いに決まってる。
 私はこの世界が見えていなかった。いつか元の世界に帰るはずだったから。

やっとこの世界で、自分が生きていかなくてはいけないと悟った。そんな私をまるごと受け入れてくれている弟を殺したら、私はひとりになってしまうんじゃないか。

 そんな自分勝手なことを考えているとようやく落ち着いてくる。弟の首から手を離し、怪訝な顔をして未だ自身を殺すようにと誘いを向ける弟に心から謝罪する。あっさりと許されてしまうのが何故か切なかった。

 ――やがてハッと気が付いた。私たちは六人パーティ。他の人はどうしたのか?
 何故か、反逆の狼煙……いやいや、イケメン冒険者が女冒険者たちに剣を突きつけている。仲間割れ? だけどそういう雰囲気じゃない。女冒険者は私たちを見ながらけだるい拍手を送ってくる。うんざりとした様子だが、和やかな空気だ。

 事情を聞いて驚愕した。イケメン冒険者の恩恵【人助け】が発動したのだという。悪霊に憑かれた人間が、人間以外の種族を殺すのを、女冒険者たちが妨げないように邪魔したと。
 ――つまりそれは、私が殺そうとしていた弟が、人間ではないということを示していた。

「俺を加護する精霊――精霊神アスピルが敵対視する人間以外の種族の中でも、より仮想敵に近い存在だと思う」

 それはつまり、魔族。
 非常にレアな種族だ――じゃなくて、この人間至上主義の精霊神教を国教としているこの国で、弟がこれからも暮らしていくのは危険だった。
 弟を国外へと逃がすことにする。女冒険者が面白がって、私たちに協力してくれるそうだ。よかった。弟は十四歳。まだ一人では街の外へは出られない。

 イケメン冒険者――いいや、弟を狙っているから反逆の狼煙でいいか――は弟に対してツンケンしながらも、私たちに情報をくれた。
 私が悪霊に憑かれたのは、弟を肉体から解放するためだったのかもしれない、と。  魔族はその魂が本体だ。肉体を持って生まれてきたとしたら、それは枷になる。ない方が強いらしい。そして、身体をただ壊されただけでは死なないのだそうだ。

 どうでもいいけど、弟には生きていて欲しい。
 だから、私たちは緊急クエストを放り出して、あがくことにする。



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