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ディアストール一族






朝、窓から入ってくる明かりで起きると、隣に寝ていたはずのリールはすでに起き上がっていた。
けれど、上掛けのシーツから出ていたわけではなかった。
上体を起こし、手元を熱心にのぞき込んでいた。

エリーゼが視線をリールの手元にずらすと、そこには闇があった。

「――暗い。無の……隙間の、そう――何もない」

リールは掌の上に現出させたその闇を見据え、ぶつぶつと何事かを呟いていた。
――闇魔法の練習だろう。時間や空間という、至極曖昧な概念を操る魔法。
集中しているのか、それとも気づいて無視しているのだろうか。
気づいて無視しているのであればよかったが、もし集中しているのだとすると、エリーゼが声をかけると魔法が暴走するかもしれない。
もちろん、そんなことは滅多にないことだけれど。

不意に、リールは口を噤んで掌の上から魔法を消した。
するとすぐに、ディータがガバリと起き上がった。

「おはようございます、エリーゼ様、リール様、早起きですねえ」
「……姉さん? いつから起きていたんですか?」

リールは驚いたように緑色の目を丸くした。
本当にリールが気付いていなかったことに、エリーゼは驚いた。ディータが起きるのは察知していたのに。

「ついさっきだけど……魔法の練習、はかどってる?」
「いいえ……以前、必要に駆られて使った魔法を、どうにか再現できないかと思っているのですが……どうにも上手くいかなくて」
「そっかぁ。古代語とか古代星(ルーン)語のことなら相談に乗れるから、呪文が定まったら教えてね?」
「はい、ありがとうございます。ですがまだ、闇がどんな作用を引き起こしたために発現した魔法なのか、把握しきれていないので」

闇に何をどうしてほしいのか、はっきりとオーダーしないと魔法は発動してくれない。
知ってる魔法の知ってる呪文を唱えるだけなら簡単だけれど、既存の効果とは別の効果を求めるのならば、その呪文は自分で考えなくちゃいけない。
エリーゼはわりと簡単に好き勝手な単語を繋ぎ合わせて呪文にするが、本当ならすでに決められた効果を見込める決められた呪文を唱えるのが普通の魔法使いだ。
けれど、リールは古代語を操ることができるため、悩んでいるのだろう。
リールが悩むぐらいだから、既存の魔法に当てはまらない効果で、新しい魔法なんだろう。
早く完成させて、見せて欲しいものだとエリーゼは思った。

「シーザさーん。あなたが起きて働かないと、エリーゼ様がいつまでも着替えられませんよー」
「うーん、煩いっ」
「ふわっ!?」

暑かったのかシーツを跳ね飛ばした格好のシーザの拳が宙を抉る。
間一髪で避けたディータは「今日も恐ろしいキレですね!」と言いつつ震えていた。
震えていても明日の朝には寝ぼけたシーザの顔を覗き込もうとする勇気があるだろうから、ディータは今日も元気であると言えるだろう。

男女別れて着替えを済ませると、朝食をとりつつ一日の予定を話し合う。
ディータは引き続き町の情報収集。
シーザは長期滞在を考えての家探しや細かい事務手続き。
リールとエリーゼは冒険者ギルドへ行って、エルからの限定クエストが受理されていればクエスト遂行のために任務に就くことになる。

「めちゃくちゃ怪しい依頼ですけど、受理されるかもしれませんねー。ディアストール関連なら」
「えぇ……エリーゼ様、ディアストール商会って、悪魔信仰者と関わり合いがあるかもしれないって商会なんですよね?」

ディータの分析に嫌な顔をしつつ、シーザが小声で確認する。
パンを頬張るエリーゼの代わりにリールが頷いた。

「そうですよ。魔女だの魔法薬だの、怪しいことこの上ない連中ですね」
「なのに、関わっちゃうんですかぁ?」
「……姉さんが、受けてしまったんですよ」
「ああ、可愛かったですもんね、あの子」
「うん……そうだね」

ディータの言葉にエリーゼは苦笑した。あの子と見つめ合った瞬間、エリーゼはほとんど夢心地だった。
本当に美しい少女だった。
ディアストール商会と関わりがあるとわかっていても、恐れも不安もわいてこなくなるくらいに。




翌朝、四人全員で冒険者ギルドを訪れると、昨日の依頼は本当に受理されていた。
ギルドが即日で依頼の仲介を受理したということは、審査などはしていないということだろう。
承認は、ギルドの職員ではなく、ギルド長の手によって直々に行われたらしい。
依頼票にサインされている名前は、ドリア・ディアストール。

「考え方を変えれば、ディアストール商会の人間の依頼でディアストール商会を調べられるということなんですよねー」
「関わってしまう以上、そう前向きに考えるべきでしょうね」

ギルドから出ると、ディータは気楽そうに言った。
反面、リールはひどく憂鬱そうだった。

「ギルド長までもディアストールの人間だとは……早くこの町から出るべきですね」
「手形が届かないとどうにもなりませんよぉ、リール様」
「いっそフィンが使ったであろう裏の道でも通りますか」
「嫌ですよ私! 後ろ暗いところなく大通りを歩いて生きていきたいんです!」
「ぼくも同感です!」
「ちょっと、なんとなく後ろ暗そうなディータと一緒にしないでくれる!? 私まで同類だと思われちゃう!」

いつもの調子で二人は言い合いをしていたように見えた。
だが、シーザがその言葉を口にした瞬間、ディータの顔から笑顔が落ちた。
落ちたと表現するのはおかしいのかもしれないけれど、しかし、落ちてしまったと見ていたエリーゼは感じた。
ディータは落とした笑顔をすぐに拾おうとせず、じっとシーザを見ていたけれど、「何よ!」とシーザに睨まれると軽く息を吐いて笑顔を拾った。

「はは……全く、口には気をつけた方がいいですよって言いたいところですけど、シーザさんならまあ、大丈夫でしょうねえ」
「文句があるのならはっきりと言えば?」
「文句なんてありませんよ。ただひどく腹が立っただけです。シーザさんってそういうところありますよね?」
「あーやだやだ、図星を突かれたからってやめてよね。言っとくけど、自分では隠せてるつもりかもしれないけど、 あんまり隠せてないわよ!」
「……そうですかぁ……参ったなあ」

ディータの胡散臭さのことなら確かにあんまり隠せていない。
頬をポリポリとかいているディータは、もうすっかり感情を隠し果せていた。
リールは二人のやり取りを全く気にする様子なく、「それでは二手に別れましょう」と提案した。

「ボクと姉さんはディアストールの依頼でディアストールのギルド長の承認を受けディアストールを探ります」
「それじゃ、ぼくとシーザさんは――」
「私はディータとは嫌ですぅ!!!」
「――ぼくは一人でもいいですけど。目的は、どちらかというと依頼の達成というよりディアストールが例の団体と繋がっているかどうか、繋がっているのであれば今後エリーゼ様やリール様にどんな行動を取る可能性があるかを探るってことでいいんですよね?」
「そうだね」
「関わり……あると思って調べた方がいいんですよね?」

ディアストールが悪魔信仰と関わりがあるという証拠を確認したわけではない。
けれどエリーゼは、ディータの言葉に頷いた。

「ないと思って調べるより、ずっと慎重になれるでしょ」

共に旅をしているというのに、全幅の信頼を置いているというわけじゃない。
それでも、死んで欲しいわけでもない。
エリーゼにとってディータは友達ですらないけれど、失いたくないとは既に思わされている。

(平和な時代を生きた前世の記憶の――残りかすみたいな)

エリーゼがこの世界で生きる人間としてはあまり相応しくない甘い思考の意味について思いを馳せていると、心臓が無意味に音を立てた気がした。
細胞が動き、血が一瞬熱くなったような、奇妙な感覚が一瞬通り過ぎていった。

「?」
「姉さん? どうしました?」
「いや……立ちくらみ?」
「熱射病、でしたっけ? 気をつけてくださいよ……水分はちゃんと取って下さいね」

水筒のぬるい水を飲んでいると、エリーゼは太陽の暑さを思い出した。

「それじゃ、簡単なぼくの調査状況のメモをお渡ししておきますね」
「うん……ありがと、ディータ」
「……どういたしまして、エリーゼ様」

一瞬ディータは、エリーゼが礼を言ったことが意外だという顔をした。これまで何度か感謝の言葉は伝えているはずなのに。
それから嬉しそうに笑うと、ディータは一礼してその場から一人で活動を開始した。
汗を拭いつつ水を飲み終えると、エリーゼたち三人もまた、行動を開始した。





「ダメですねー。いないみたいです……っていうか、あんまりここに寄り付いてないみたいですよ?」

ディアストールの商会の事務所から出てきたシーザは、建物の影で待っていたエリーゼたちと合流すると肩をすくめて報告した。
シーザは正面からアキムの行方を尋ねる担当。
エリーゼとリールはあくまで偶然を装ってアキムを追う尾行担当になった。

「あんまり従業員からも尊敬されてない感じでしたよ? 私がアキムさんいますかーって顔を出したら、あんなやつ滅多にここに来ないしどうでもいいからご飯行かない? みたいないこと言われたしー」

第一印象がコネで立場を得ているバカ息子風だったので、シーザのそこまでの報告に、エリーゼは特に違和感を持たなかった。
ただシーザは、そこで声をひそめて言った。

「……なーんか、商会にしては変な感じがしました」
「変な感じ?」
「ええそうです。これまでディアストール商会が悪魔信仰者と関わってるとかいないとか……正直エリーゼ様の考えすぎっていうか被害妄想強すぎ? みたいに思ってたとこもあったんですけど」
「そんなこと思ってたの!?」
「そうなんですけど――なんか今日、あり得るかもしれないって思っちゃいました」

シーザの言葉に、エリーゼは息を呑んだ。
言葉が出てこないエリーゼの代わりにリールが言う。

「一体どういった部分に信仰者の影が?」
「影が見えたとか後ろ暗い雰囲気があるとか、そういうことじゃないんです……ただ、大きな商会のはずなのに、商売っ気? みたいなものが薄く感じて」

シーザは大きな商会の建物を振り返り、気味悪そうに言った。

「あんなに立派な商会を建ててるのに……うちなんかよりずっと立派なのに……商売する気あるの? みたいな……外側の豪華さと比べて中から見たら悪い意味で質素だし、商品の紹介の仕方も……陳列のやり方もなんだか適当で……従業員の教育も……弱小商会の僻みなんですかね? ……よくわからないですけど」
「――商売以外に何か他の目的がありそうに見える、と?」
「そういう感じです、リール様」
「その目的が……悪魔信仰の普及や信仰者の保護や、活動の支援であってもおかしくないってこと、ね」
「私の僻みかもしれないんで、話半分に聞いてほしいですけどね」

そうは言いつつも、シーザは顔を顰めて「嫌な感じ」と呟いた。
その横顔から、エリーゼは目を離すことができなかった。










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