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魔女体験






「というわけで、魔女塾へ行こうか!」
「何がというわけで、ですか!!!」
「エリーゼ様、絶対に言うと思った……」

エリーゼの宣言にリールが食ってかかり、シーザは溜息を吐いた。

「なーんかこそこそ聞き回ってましたもんね……」
「だってさ! 尾行するにしても見つからないじゃん? できないじゃん! だからここはね、関係各所を当たるしかないなと!!」
「姉さん、魔女になりたいだけでしょう?」
「なれないかも……! とは思ってるから。せめて、魔女を見たい……! 一目だけでも会いたいの……!!」
「かも、じゃありません。姉さんは魔女にはなりません」
「なれるかも!」
「なれません!!」

炎天下での数十分の喧々諤々のやり取りは、見事エリーゼが勝利した。
多数決で勝ったのだ。かき氷で買収されたシーザは「エリーゼ様、おかわり」と水筒と器を差し出した。

<純粋な水 柔らかな氷 薄く薄く薄く削れ(ふわふわかきごおり)!>

エリーゼが工夫を加えた呪文により現れた氷は不純物による光の屈折により白く濁ることもなく、美しく透明に濡れ、それはたちまち薄く削られていく。
エリーゼのイメージそのままに。

「ちょっと味見」
「あっエリーゼ様! それ私の!!」
「んんっ、おいし~い! 後で砂糖水かけてみぞれにしよー!!」
「むっ、みゃ、きゃー! すごーい! エリーゼ様すごい!!!」
「シーザの票は渡さない!」
「チッ……姉さんのくせに小賢しい!」

私のくせに!? と驚愕するエリーゼを後目にリールはスタスタと歩いていく。
その方角は、エリーゼの目的地だ。
エリーゼは満面の笑みを浮かべて後を追った。

「魔女塾が私を待ってる~」
「わっ、私が食べ終わるまで待ってくださいよぉ!」

エリーゼたちの目的地は、魔女塾。
エリーゼたちが聞き込みのための目星を付けているディアストールの関連施設の一つではある。
ディアストールが取り扱う商品の中に魔法薬、つまりポーションの類があるのだが、これを作るのが魔女と名乗る者たちである。
この魔女になるための塾が、魔女塾だった。

「今なら夏の講習で、魔女体験ができるって!! ね!?」
「……怪しいことこの上ありませんね」

リールはうんざりした様子で言った。
魔女塾はこのディアストールにいくつかあるようで、道行く人が魔女体験をしたいと目を輝かせるエリーゼに向けるのは、観光客に見せる微笑ましさだ。
この魔女塾というのは、魔法薬がディアストール商会の目玉商品であり、その技術は本来秘匿すべきものではないかと思われるにもかかわらず、広く技術を学ぼうとする者へ門戸を開いていた。

怪しいか怪しくないかで言えば、勿論怪しい。
どこか古い概念のまかり通るこの世界で、技術共有なんて考え方が出回るとはエリーゼにもあまり思えなかった。
可能性があるとすれば、精霊に特許申請をすることで、その技術の権利を守ってもらうという方法だ。
けれど調べてみても、魔女の技術が精霊に守られている様子はない。

「だけど魔女に! 私はなる!!」
「一目会いたいだけだと言っていましたよね?」

リールにちくりと刺されてもエリーゼは気にせず、意気揚々と目的地へ向かった。
観光案内を出している商業ギルドのオススメは魔女塾キレーネだという。
比較的若い魔女なので気性が穏やかだという。魔女が老いるとどうなるのかも見てみたいエリーゼだったが、無難に勧められたところへ行くことにした。

もらった地図の通りに行くと、少し大通りから横道に逸れて入ったところに、ひっそりとたたずむ雰囲気のある家があった。
アパートのような作りで、壁一面をびっしり蔦が覆い隠している。
いかにも怪しげで、けれど如何わしいというよりは神秘的な、昼の裏路地の光の似合う涼しげな佇まいだった。

「ごめんくださーい……出てこないですね」

まずはシーザが躊躇うことなく近づいて、扉を叩いた。
しばらく経っても人は出てこないが、エリーゼたちが口を噤んで静かにしていると、室内からは人の声が聞こえた。
無人というわけではないらしい。

「ん? ――ちょっとどいてくれる、シーザ」
「どうしました? エリーゼ様」
「……ああ、なるほど」
「姉さん?」
「用がある人は声をかけてから裏口へ回ってくれだって。あっ、右からね」

アパートを正面に見た時、左側には小さな庭が作られていた。小さな石の小道も左側の庭に続いていて、裏口へ回るならそちらから行きたくなるだろう。
右には思いきり雑草が生い茂る手入れをされていない狭い道しかない。むしろ道じゃない。
これじゃたとえ読めても体格のいい人は通ることができないだろう。

「こんなモジャモジャなところ通りたくない~」
「古代文字で左からと書かれていますが?」

リールの言葉に、エリーゼは頷いた。

「古代文字では左から……端っこに、古代星(ルーン)文字で右からって」
「なるほど。……そこで篩にかけられるというわけですか。しかし古代星(ルーン)文字だなんて読める人間がどれだけいますか? それをわざわざ自らバラす必要がありますか?」
「もうエルちゃんにバレてるからな~」
「……そういえばそうでしたね」

エリーゼに魔女になることを勧めた謎の美少女、エル。
契約時にエリーゼは署名を他者が偽ることのできないよう、古代星(ルーン)文字で書いたので、その際に露見している。
また、それがバレたからこそ、魔女になるように猛烈にアピールされたので、もはやここで隠すことに意味があるとは思えない。

「逆に隠したらなんでってならない?」
「モジャモジャなところ通りたくないからですー、とか言ったらどうですか?」
「その手があったか!」

エリーゼがシーザの心からの理由に手を打った時、「ふふっ」と近くで見知らぬ女性の笑い声が聞こえた。

「……どうぞ、正面玄関から入ってきていいですよ」
「あ、いいんですか?」
「聞いていましたけれど、読めるのでしょう? でも、モジャモジャは嫌でしょうからね」

玄関の内側の気配が、正面の扉を開いてくれた。
優しげな声の持ち主の顔は、すぐに白日の下に晒された。
青白い顔をした女性だった。二十代後半くらいの、美しい黒髪の女性である。
くすくすと笑われたシーザは恥ずかしそうに唇を尖らせた。

「それじゃ、おじゃましまーす!」
「どうぞ。魔女体験ですよね。楽しんでいってくださいね」

女性の言っていることは完全に観光客に対する対応である。
意気揚々と楽しむ気満々のエリーゼにかわり、リールは女性を睨むような強い視線で見据えた。

「貴女が、魔女ですか?」
「いかにも、私が魔女のキレーネです。まずはお茶にしましょうか。冷たいお茶があるんですよ」
「飲みたい飲みたい!」
「姉さん……はぁぁ」
「今、甥っ子も遊びに来ているんですけれど、気にしないでくださいね」
「夏休みなのかな?」

エリーゼが首を傾げるとキレーネもまた夏休み? と笑顔のまま首を傾げた。
子供が誰もが通う義務教育の学校と言えるようなもののないこの世界では、夏休みというものはあまりなじみのない概念だったかもしれない。
魔女の夏期講習はあるみたいなのに。

「生活空間は二階なんです。一階は後で魔女体験をしてもらう時に使います。三階は私の仕事部屋。とても危険な薬品などもあるので、近づいてはいけませんよ」
「はーい!」
「いい返事ですね」
「そういえば私、エリーゼです!」
「エリーゼさん、本日は宜しくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします、キレーネ先生!」

そう、エリーゼは、キレーネに何やら先生のような雰囲気を感じていた。
先生と呼ばれたキレーネは満更でもなさそうに穏やかに微笑んでいる。

「古代星(ルーン)語がある程度わかる方に、魔女体験に興味を持っていただけて嬉しいわ……一番の難関がそこにありますからね」
「古代星(ルーン)語を使うんですか?」
「そうなんです。精霊の繊細な力を借りる必要があるんですよ」

一階に置かれた机や棚、並べられた謎の液体の詰まったビンや、そこに貼られる古びたラベル。
吊るされるドライフラワー、薬棚のように小さな引き出しの連なる箪笥、秤や大釜。
部屋を眺めて目を輝かせるエリーゼに、リールは天を仰いでいた。シーザは既に飽きた様子でつまらなそうにしている。

「お客様がいらしたから、いい子にしていてね」
「子ども扱いはやめてください! おばさ――ま?」
「あーッ!!?」

エリーゼが指さして声を上げるのとほぼ同時に、二階でお茶らしきものを飲みながら涼んでいたらしい男もまた椅子から立ち上がって声をあげた。

「君たち、あの私の邪魔をした!?」
「アキム、静かになさい」
「お、おばさま……!!」

キレーネにぴしゃりと言われて怯んだ男の名前を、エリーゼたちは知っていた。
アキム・ディアストール。
それはエリーゼたちが尾行と調査の依頼を受けている対象であり、ちょうど見失っていた男だった。

「……甥っ子?」

シーザがキレーネとアキムを交互に指差しながら胡散臭そうな顔つきになる。
二人の年齢は、どちらかというとキレーネの方が年下に見えるくらいだった。
キレーネは「うふふ」と意味深な笑みを浮かべている。

「血の繋がらない甥っ子とかそういうことですか? 再婚??」
「いいえ……ふふ、正真正銘、アキムは私の姉の子ですよ」
「あ~なるほど、年齢差のある姉妹ですね!」

エリーゼが得心したと手を打つが、キレーネは意味深な笑みを浮かべ続けている。
答えを求めて視線を彷徨わせるエリーゼを見て、アキムは溜息を吐いてボソリと言った。

「おばさまは魔女だから年を取らないだけでしょう」
「年は取るわよ。ただ見た目に表れないだけよ……実のところ、私は四十三歳です」
「わあ! すごい!」
「……驚くようなことですか?」

エリーゼは素直に驚いてみせたが、リールはあまり心を動かされなかったようだった。
そういえば、エリーゼたちの両親もまた年齢とはかけ離れた容姿をしていた。
しかし、誰の目から見てもエリーゼたちの両親は例外だろう。

「魔女になると若いままでいられるんですね!」
「ええ、そうです。いつまでも美しくいたい女性におすすめですよ。魔女的美容健康法を、どうぞ試していってくださいね」
「試します!」
「なるほど……若いまま……それなら私も……」

テンション高めに返事をするエリーゼと、若干ノリ気になってきたシーザを見て、リールとアキムがほとんど同時に溜息を吐いた。
それが気に食わないリールに理不尽に睨まれたアキムは、一瞬怯みつつも頑張ってリールを睨み返していた。





魔女先生キレーネが用意してくれた材料を使って簡単な薬を調合してみよう! という魔女の夏期講習体験。
エリーゼたちの作業中、アキムはじーっとエリーゼたちを睨み続けていた。
既にリールは完全に無視していたけれど、その視線、エリーゼとシーザが気になった。
そして一番先に我慢の限界に達したのはシーザだった。

「何か用ですかぁ~?」
「君ではないよ。君のような可愛らしい子を疑うはずもない」
「はああ~~~~?」

おそらく褒められたのだけれども、シーザのお眼鏡に適わなかったらしく態度は辛辣だった。
アキムは気にする様子もなく、エリーゼとリールを見比べている。

「君たちは一体何なんだい? 何かがおかしいと私のカンが告げているんだけれどね」
「ふーん?」
「私の行く先々に表れて邪魔をしているじゃないか。ビスタ商会の件では二回も。今回は休憩まで邪魔をされてしまった……仕事熱心な私のような奉仕者には十分な休息が絶対に必要なのだけれど?」
「姉さん、それを入れる前に火を強火にするのではありませんか?」
「あっそうだ! そうそう、それに千切って入れろって! 古代星(ルーン)文字で書いてあるし!!」
「君たち、私の話を聞き給え」

火と初めて触れる薬品を扱っているんだから、横からゴチャゴチャ言うのはやめてほしい。 エリーゼは竈にポイポイと薪を足すと、手についた煤を払いながら一人でしゃべっていたアキムの方を見た。

「つまり何が言いたいんですか?」
「君たちは何やらとても怪しい。こう、犯罪者という感じではないんだけれど……何かが他の人とは違ってとてつもなく胡散臭いね。私には、そんな君たちの素性を調べる権利があるということさ!」
「はあ」
「私はアキム・ディアストール! この町で最も古くから暮らすディアストール一族の者で、この重要なロワーズの地の支部長を任されているんだからね!」
「えーとそれは、権利じゃなくて権力があるってことじゃない?」
「どちらにせよ同じようなものさ」

権利と権力を区別しない輩に胡散臭いと鼻に皺を寄せられている。
エリーゼは会話をするだけ無駄だと感じて視線を逸らした。たとえ権力を振りかざされても、問題ない。
もしあちらがそんな手を使うのであれば、エリーゼにだって考えがある。
続こうとした彼の言葉はシーザの声でかき消された。

「エリーゼ様ぁ! 暑くて死にそうだから氷を削ってください!」
「だよね~。あっ、キレーネ先生も食べますか?」
「まあ。いただこうかしら。しばらく煮詰めるだけだから、少し休憩としましょうね」

彼女もまた、アキムに視線を向けて苦笑している。
けれどその眼差しは優しいもので、親族としての寛容に満ちていた。
それを見ていたリールとエリーゼは視線を交わす。確かに、権力と甘い親戚に囲まれてはいそうだった。美少女エルの件も含めて。

「器を貸していただけますか? キレーネ先生」
「ええ、わかりました」

借りた器は硝子の涼しそうなもので、大体シーザの言葉からエリーゼが何をしようとしているのか、キレーネも想像できているらしかった。
並べた器は三つ。アキムはまだエリーゼをジロジロと眺めている。
エリーゼは三つの器のうちの一つにその両手を掲げた。

<純粋な水 柔らかな氷 薄く薄く薄く削れ(ふわふわかきごおり)!>

先ほど作り出した呪文を再び唱えたエリーゼの掌からまるでかき氷器で削られているかのように軽い氷が落ちていく。
キレーネは手を合わせて顔をほころばせた。

「すごいわね、完璧に古代星(ルーン)語を使いこなしていないとできないことだわ!」
「ははは」
「どこで習ったのかしら。よければ私もあなたと同じ先生に習いたいわ」
「えっとそれは――ぎゃっ!」
「姉さん、黙っていてくださいね?」

生まれつきわかる、だなんて口走るなと、リールがエリーゼの足を蹴飛ばしたのだった。

「教えることはできません。この言語は知っての通り特別なもの。安易に教えてはいけないものなので」
「それはそうね。教師はきっとどこかのご高名な賢者の方でいらっしゃるんでしょうからね」

キレーネは残念そうに微笑んだ。
それからしばし雑談しながらかき氷タイムとなった。硝子に盛られたかき氷は涼しげで、キレーネの好意で砂糖を煮詰めさせてもらい、みぞれを作って楽しんだ。
アキムがじっとそれを眺めていたので、キレーネが一口掬って食べさせようとしたけれど「結構ですよ、おばさま」とアキムはそれを固辞した。 
少なくともエリーゼにとっては楽しい魔女の魔女的なお話だったが、魔女の修行に関するキレーネの一言が発端でおしまいとなった。

「この通り、魔女は精霊に助けてもらわないとほとんど何もできないのですけれど、肝心の古代星(ルーン)語について、私たちも中々いい講師と巡り合えなくて……ここが精霊神教会の教区でなければ妖精を雇いたいくらいですけれど」
「おばさま! 滅多なことを言ってはいけませんよ。精霊神教会が悪魔の下僕と認定している存在じゃありませんか!」

エリーゼたちもハッとするようなことを言ったキレーネに、噛みついたのはアキムだった。

「そんなことを言ってはいけないわ、アキム。教会は良い行いをすることもあるけど、悪い行いをすることもあるのよ。そして、彼らの言っていることが必ずしも正しいとは限らないの」
「それならばどうして精霊神教が国教となり、その教えに反することが違反となるのですか? どちらにせよ、いけないことですよ!」

アキムは大げさな身振り手振りで言ってのけて肩を竦めると「おばさまですから見逃して差し上げるんですからね」と言うと、くるりとこの部屋に背を向けて出て行った。
すぐさまシーザが追いかけていく。
それを見てキレーネがエリーゼとリールを不安げに見上げていたので「ディアストールの親族の方より、彼が非行に走ってないか様子を見るよう言われていて」とエリーゼが適当なようなある意味事実かもしれないことを言うと、納得した顔をされた。

「そうね……アキムは正義感に溢れるいい子なのだけれど、何分あまりにも画一的で……一個の価値観からしか評価しないのよ。善悪ではなくね」
「たとえ善良で行儀よく振る舞う妖精でも、見つけたら精霊神教会に差し出すような?」
「ええ。その通り……あなたたちも、アキムに目を付けられているようだけど、秘密があるのなら早くロワーズを出た方がいいかもしれないわね……あの子は本当にそういうのを探し出すのが上手いから」

エリーゼたちには秘密がいくつもある。
エリーゼの前世のことにしたってそうだし、リールや、家族のこと。
正直、秘密しかないようなところがある。
だからといって、この町をさっさと出て行くというわけにもいかなかった。

「手形が届けばすぐにでも出ていくつもりなんですけど」
「それは……待つしかないわね」
「そうなんです。困ってて……それにしても、キレーネ先生は妖精を差別しないんですね?」
「可愛らしい妖精何人かにホームステイをしてもらいながら古代星(ルーン)語を習うなんて、とっても素敵だと思わない?」

部屋中が妖精の粉だらけになりそうだなとエリーゼは思った。
同時に、とても可愛らしい光景だろうとも。
存在値という、己と人間との存在の格差によって己の身を削りながらも、それでも人間と共に過ごして好奇心を満たしたいという妖精はいる気がした。
そんな妖精との共生に夢を見るキレーネに、エリーゼはますます好感を抱いた。





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