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路地裏の子供たち2


「エリーゼ、こっちこっち」
「走るの早いよ、フィン」

 そうは言っても、エリーゼもその歩みを緩めてくれとは思わなかった。貴族街のように人の目と意識の行き届いた道ではなかった。エリーゼたちが走りぬけているのはバターレイという区域で、ここで気を抜くのは危険なことだった。

「どこへ向かってるの?」

 バターレイ。アールジス王国王都アーハザンタスの旧市街だった。王宮の南東に位置していて、今では貧民街として存続している。窓には模様の刻まれた銅板が打ちつけられている。あれはこの近辺を縄張りとしているグループの象徴だという話はエリーゼも耳にしたことがある。

「もうすぐそこだ。ビビってんなよ」

 フィンは抜け目なく周囲に目を光らせながら言った。フィンの言葉通り、目的地は通りを左へ折れたすぐの場所に存在した。藁を敷いたり、そのままの姿で壁を背に無気力に並ぶ人々がいる。その前をゆっくりと進む馬車があって、窓から何かが放り投げられるたびにあたりの浮浪者たちが色めきたった。

「ほら、ついた」
「ここが物乞いする場所?」
「おめぐみして、いいキブンになってやろうって貴族がたくさんくる場所だな。おれたちみたいなこどもがいると貴族もはらいがイイから、おっさんたちもわりと歓迎してくれんだよ」

 フィンの言ったとおりエリーゼたちは着くなり列の前の方へと押しやられた。しばらく待つと新しい馬車がやってきて、確かに並ぶ人がきの中に子供の姿を見るたび馬の歩みは遅くなった。
 エリーゼたちの前にくると、窓から顔を出したおじさんが痛ましそうに顔を歪めた。

「随分小奇麗なお嬢さんだ」

 エリーゼの格好に似つかわしくない言葉だったが、そのおじさんがそう言いたい気持ちもエリーゼにはわかった。並ぶ子供たち、そして浮浪者たちの不潔さは前世の世界のそれとは比べ物にならない。あまりの姿に目を覆いたくなるほどだった。その中に囲われているだけで異臭がして、エリーゼは逃げ出したい気持ちに駆られていた。

 施しをしているこの貴族の男は虚栄心を満たしたい気持ちもあるのかもしれないが、こんなところまで足を運ぶだけでも十分に懐の深い良い貴族だとエリーゼは思った。

「最近親に捨てられたのかい?」

 そう言うと、おじさんは身を乗り出してエリーゼへと手を延ばした。その手にはおじさんがつい先ほどまで首にかけていたらしい貴金属のネックレスがあり、エリーゼの頭に被せるとおじさんは満足そうににっこりと笑った。

「君が精霊の恩恵に恵まれますよう」

 ありきたりな台詞を述べると、おじさんは馬車を進ませた。次に馬車を止めたときには、貴金属のネックレスなどよこさずに、馬車の中に積んでいたらしいパンを群衆に放っていた。

「やったじゃん、エリーゼっ」

 はしゃいだ声で脇腹を突いてくるフィンをエリーゼは無視した。エリーゼは馬車が十分な距離離れるのを待った。周囲から向けられる視線の痛さに冷や汗を流す。馬車がついにエリーゼたちを意識することもないだけの距離を離れたとき、エリーゼは即座に首にかけられたそれを外した。

 そして銀細工の鎖を引きちぎった。

「あっ、なにするんだよ、エリーゼ!?」

 驚いた声をあげるフィンに構わずに、エリーゼはその銀細工に嵌めこまれた宝石から分解していった。細い華奢なデザインのネックレスは子供の力任せで簡単に分解され、ルビーのような赤い宝石もすぐに外れた。エリーゼはそれを、近くにいた最も鋭い視線を向けてきた男へと押しつけた。それを受けとると、男は喜色満面でエリーゼから離れていった。エリーゼはネックレスを分解し続けた。より強い視線を向けてきた人から順番に残骸を渡していく。

「エリーゼ、エリーゼ! ここにつれてきてやったのはだれだとおもってる?」

 フィンの言葉に、エリーゼは仕方なく銀の鎖をひと欠片フィンに渡してやった。

「あの貴族はあたりだな。またこないかな」
「来ない方がいい。あれはお人よしだけど、偽善者の大バカ者だよ」
「なんだよ、すこしくらいありがとうってキモチはないのかよ。せっかくおれがココにつれてきてやったんだから、おれにいちばんおっきな宝石をくれてもよかったんじゃねーのかよ?」

 不満そうに唇を尖らせているフィンを見て、エリーゼは小さく首を横に振って言った。

「それ、パンにでも肉にでも、早く替えた方がいいよ」
「ばっかだな、エリーゼ! 銀ってのは、ひと欠片のパンとか肉とかチーズとかより、もっとイイもんとかえられるんだぜ?」

 エリーゼは最後の銀のひと欠片を、パンを持っていた男と取り替えてもらった。フィンはさんざんにエリーゼを笑った。エリーゼはその場でその半分を食べてしまうと、残りを懐に入れて帰途についた。

 翌日、フィンは精霊神教会の配給へとやってこなかった。
 その次の日も、また次の日も来なかった。




 二週間ほどしたとき、再び現れたフィンの頬は若干腫れていた。黒かった前髪の一部が瞳の色に似た灰色になっていて、目の下の隈が妙に目立った。

「おまえ、心配した?」

 教会の前に並んでいたエリーゼの後ろへと続いたフィンの言葉に、エリーゼは頷いて答えた。

「死んじゃったかと思った」
「おれも、ころされたとおもった。けど、死んでなかった」

 へらりと笑いながらフィンは言った。

「おまえ、おれがこうなるってわかってた?」
「……フィンは賢いから、そうならないように逃げられるのかとも思ってた」
「そっか。うん――おまえの言うとおり、さっさとあんなモン、売っちまえばよかった」

 からりと笑って言うと、それ以上フィンは何も説明しなかった。エリーゼも聞かずに列の前を向いていた。間近で見るフィンは二週間前よりも随分痩せていて、浮浪児のくせに奇妙にきれいだった肌も荒れていて、剥きだしの腕は細すぎて、もしかしたらもうすぐ死ぬのかもしれないとエリーゼは思った。

「なあ、エリーゼ」
「なあに、フィン」
「こころから、ほんとうに、精霊神アスピルをケイアイして、ソンケーして……そしたらアスピルはたすけてくれんのかな? こまったときとか、つらいときとか、たすけにきてくれんのかな?」
「まさか」

 縋るように、懇願するように言ったフィンの言葉をエリーゼは無表情で否定した。
嘲笑わないのは子供を思いやったからだった。けれど言わずにはいられなかった。

「助けてくれるわけがない。神様はいるかもしれないけど、誰もかれもを見守ってくれてるわけじゃない。――神様は私を助けてくれなかった」
「ケイアイがたりなかったんじゃねーの?」

 エリーゼはフィンをぎろりと睨んだ。フィンは肩を竦めてみせた。
 ややあって、エリーゼは溜息をついてフィンから視線を逸らした。フィンはくすくすと肩を震わせて笑いだした。

 あとはもう明るいいつものフィンがそこにいた。精霊神教会アスピルも、いつもの通りただのご飯の種になった。




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