路地裏の子供たち4
今日の天気が知りたかった。明日の天気が知りたかった。
今日の気温が知りたかった。何か事件が起きたのなら知りたかった。
社会情勢を知りたかった。戦争が起きたのなら知りたかった。
今の流行を知りたかった。一般常識を知りたかった。
魔物が出現して郊外の村が潰れたことを知りたかった。
今の時間だって知りたかった。
「……なあ、エリーゼ。おまえなんなの?」
ゆっくりと、時間はかかったが、エリーゼは自分が知りたいことを知るすべを、フィンを通して手に入れていった。
天気はフィンの仲間の男の子が全て言い当てた。明日の天気までなら正確だった。天気には気温も含まれるらしかった。男の子に引きあわされて、エリーゼは色々聞いてみたが、湿度もわかるらしかった。表現の仕方さえ決めてしまえば、彼は素晴らしい天気予報士になっていった。
事件の発生を知ることも時間をかければ不可能ではなかった。
浮浪児の子供たちは普通の暮らしを営む人にとって、特に貴族たちにとって空気よりも希薄な存在らしかった。子供たちの目に映って、子供たちが何を考えるかとか、そこから策謀を巡らすとか、考えることがないらしい。事実、ある家に隣の家の男が押し入り強盗をした一連の事件を目撃しても、浮浪児の子供はなんとも思わないし、そこから生まれる現象に何ら興味を持たないようだった。
けれど、フィンの伝手を使って集めた情報は、エリーゼが精査をすればどれもこれも興味深いものになった。
社会情勢を調べるのは困難だったが、バターレイにひっきりなしに流入する流れ者が連れてくる子供も多い。子供らしい無邪気さで近づけば、大抵の子供はなんら隠すことなく外の世界で起こっていることを教えてくれる。今、リヴァーサという国が魔物の侵攻を受けて危ないらしい。弱ったところを突こうと山脈の向こうでデルタという国が虎視眈々と狙っているという。魔物じゃなくて、同じ人間なのに、と外から来たリヴァーサの子供は口汚く罵った。
バターレイの中にある歓楽街の客引きの女の子たちに、自分達の価値を高めることを提案した。髪の毛の結い方、手入れ、衣服、そして立ち居振る舞いや簡単な読み書き計算。ものにできない子の方が多いが、異様に呑みこみの早い子は数十人にひとりいて、彼女たちはみるみるうちにエリーゼの代わりの先生となり、やがてエリーゼ以上に洗練されていく。彼女たちがいいと言ったものが流行になった。その流行はバターレイの外へも流れていったし、彼女たちにとってもいい儲けの口になった。
子供たちの中にはかなり正確に時刻を刻むことのできる子が数人いた。本人たちはそれが一体何に使えるのかと不審がっていたけれど、その能力は欲しい人から見れば素晴らしい才能、宝だろう。
本人たちの許可をとって彼らの働き口を探してみた。エリーゼの家は一応貴族だから、商人の出入りがまばらにある。彼らへ交渉してみれば、子供の能力に興味を持つのは一人や二人ではなかった。
仲間の中から数人だけが優遇されて商人へと奉公にあがっていった。
そのことが面白くない子供はいたようだった。
睨まれて、エリーゼはいくつかの選択を間違えたことを悟った。
「なあ、おまえナニモノなんだよ?」
「……私はただの子供だよ」
「なんでわかんだよ。洗濯物がぬれたらイヤなおばさんの気持ちとか、ひとを信じさせる方法とか、あついとかさむいとかそんなコトを知りたがるやつが大勢いるとか、そんなんフツーわかんないだろ? フリンをしたおとこの気持ちとか、ウワキされた女のコウドウゲンリ? だとか、その後だれがどんなコトをして、どんな気持ちになって、なにを必要としてるかとか、おまえはひとの心がよめるみたいに当てていく」
「人の心なんてわかんないよ」
「そうだな。だけど、まるで知ってるみたいだよな」
「だいたいのことがわかるだけだよ。人間はみんなたいてい同じで、そこまで変わらない」
そう、エリーゼは色んなことをしていく中で理解した。
だからこそ、最近危機感を覚えてきた。
「……ねえフィン、私のこと、誰にも言わないで」
「とっくに、おれの仲間たちには口どめしてるよ。おまえが提案してきても、おまえとおれと、おまえのしりあいの大人の貴族がいっしょにかんがえたモンだってコトにして、みんなには言ってる」
「私、もしかしてやりすぎた?」
「ちょっとな。最近、大きい連中とか、大人にまで目をつけられはじめた」
「迷惑をかけたようなら、ごめん」
「ナニ言ってんだよ。おまえのおかげで、助かってる。おれたちは勢力としてバターレイで認められたんだよ。窓に銅板を貼っても、だれもこわしにきたりしない。おれたちのところへ逃げてきたやつの親がきても、銅板をみせつければ追いはらえる。みんなおまえのおかげなんだ。おまえのこと知ってるヤツは、おまえに感謝してるよ、エリーゼ」
「――銅板って、あれは犯罪者の印じゃないの?」
「あれを掲げるかわりに、かなりの金を用意しなきゃなんなかったから、たしかにイロイロやったさ」
言った直後、エリーゼの顔を見てフィンは決まり悪げに顔を逸らした。
「んだよ。おまえのコトは巻きこまなかったんだから、そんな顔で見んなよ」
「そんな顔って、私、どんな顔してる?」
「道を歩いてると、おとながおれたちにむけてくるような顔」
エリーゼは掌で頬を押しつぶした。フィンは首を振った。
「おまえのおかげだから、おまえの立場をわるくしちゃいけないって、みんなで話したんだ。おまえのおかげでイロイロおれたちも賢くなったとおもう。お貴族サマがおれたちみたいなのとつるむって、体面? が傷つくんだろ? ガイブンが悪いって」
「フィン……」
「イロイロしって、よくわかった。おまえはおれたちの仲間にはなれない。おまえは仲間じゃないんだ。だからこれいじょういっしょにやれない」
エリーゼは目を瞠った。いつ言おうかと思っていたことだった。
子供たちに睨まれ初めているのは感じていた。これまでのあらゆる提案をエリーゼがしたものだとは思わなくても、自分たちにとって面白くない、バターレイという貧民街の中で培われたような仲間意識を傷つけるような提案がされたとしたら、それはお門違いなエリーゼによるものだと思われているようだった。
それに、彼らの進もうとしている道は暗かった。
子供たちが精いっぱいやってやっとお小遣いを稼ぐことができるように、派手なことにはならないように、エリーゼは教えてきたつもりだった。けれど、やり方を教えれば教えるほど、方法を与えれば与えるほど、フィンたちはエリーゼの見ていないところでその原理をエリーゼが教えたのとは違う使い方をしているらしかった。
関わり合いになりたくなかった。中には恐らく、エリーゼが憎むような、許せないようなやり方があるに違いなかった。フィンたちは隠そうをしていたが、エリーゼも薄々気づいていた。
そうした中で、別れをフィンから切り出されるとは思わなかった。
「さよなら、エリーゼ。おまえのおかげで出たもうけをガメようっていうんじゃねーよ。おまえのためなら、おれたちは出来る限りぜんりょくで協力する」
「そっか……ありがとう」
「とりあえず、これからもいい取引をしようぜ」
「うん、元気で」
「おまえこそ」
一切の情緒もなく、猶予もなく、お互いに背を向けて道を違える。
ふと空を見上げて、今日の天気を聞き忘れたとひとりごちながらエリーゼは嘆息した。
(友達になれなかった)
バターレイの子供たちは、結局全員フィンの仲間だ。つまり、エリーゼの仲間ではないし、これからも仲間にはなれないだろう。
この二年間で出会った人々はみんな、エリーゼの友達にはなれないのだ。
「……はは」
指の間を何かがすり抜けて零れていくような感覚がおかしくて、エリーゼは笑った。やがて大粒の雨が降りだすまで笑い続けた。
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