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第二章ダイジェスト前半


 私の家から勇者が生まれて、私は精霊にあんまりよく思われていなことを知ったけれど、一応は平穏と言える時がハイワーズ家に訪れた。

 お兄様たちの態度も変わって、前よりずっと暮らしやすくなった。
 だけど、だからって全てにおいて安心できるようになったわけじゃない。
 私にはまだいくつもの懸念要素が残っている。

 ――そのうちの一つが後宮の問題。

 私は未だに後宮の妃候補で、しかもエディリンスという下級候補から、サフィリディアという上級候補に格上げされてしまっていた。
 所謂昇進。普通は喜ぶべきことかもしれない。
 でも、それってつまり、後宮からより脱出しにくくなったということじゃない?

 おまけに、私がサフィリディアになったせいで、サフィリディアだった人が降格させられてしてしまったのだ。
 恨まれていないわけがない。
 そう考えると、胃が痛い。





 エイブリーお兄様は半魔族らしい。
 魔族が大嫌いな精霊神教会とのゴタゴタの最中でその事実を聞いた私は、その時は色々ありすぎてあんまりそのことについて考えが及ばなかった。

 半魔族は一体人間とどう違うのか……そこのところは、お兄様自身にもよくわかっていないみたいだった。
 だから、本を借りてきて調べようとしているらしい。

「人間ならばできて当然の理解が至らないのなら、改善しなくてはならないと常々考えている。思うことをなるべく口にしないようにしているが、それは一時的な対処にすぎない。忖度できるようになるべきなのだろう」
「空気が読めない人種ってそれなりにいると思うよ、お兄様」

 バカにしようとしていなくても、他人をバカにしてしまうらしい。
 事実を指摘することがイコールバカにしている、ってことになる時もあるよね。
 だけどバカな人に、それが事実だからって「おまえはバカだ」って言ったら普通怒ると思う。
 それが、お兄様には理解できない。

 だからさらっとバカにしてみたらバカにしているとバレた。
 こんな時だけ理解できなくていいのに。





 後宮に行くとご飯をたくさん食べさせてもらえるので、そういうところは嫌いじゃない。
 でも、今の私はお金を持っているから、もう利点とも言えない。

 トランプ特許による貯金はたくさん溜まってる。
 最近は、なんか既得権益だか権利団体だかのせいで貯まりにくくなっているみたいだけれど、元々私のオリジナルなアイデアじゃないし、ここらへんが潮時なのかもしれない。

 この国の第一王子――反逆の狼煙という意味のある、タイターリス・ヘデンという名前を持つハーカラント王子――に呼ばれたため後宮を訪れた私を待っていたのは、サフィリディアに昇格したための弊害だった。
 エイブリーお兄様にとっては嬉しいのかもしれない。私が後宮の中で偉い地位に就けばハイワーズ家の格があがる。

 でも、私からすれば、利益なんて何もない。

 何らかの思惑をたっぷり隠していそうな侍女が四人新しくついて、私を利用したくてたまらないみたいで、嫌だ。
 侍女同士で争ってくれれば私に火の粉が及ばないかもしれないと思って、一番立場の弱い商人あがりの娘、シーザが標的になるように、願った。

 初めは助けてあげたいと思ったけれど、シーザは私の助けなんか必要ないみたいに、私の言葉を無駄にしたから、見捨ててしまう。

 罪悪感は。
 罪悪感の一切を拒むなら、この世界では生きてゆけない。
 だけど気分はよくなかった。





 後宮の奥に忍び入ってみた。
 サフィリディアになったことで、これまで入れなかったところに入れるようになったからだ。
 避難口、脱出路、万が一の時に備えて、さまざまなことを調べておかなくてはならない。
 そんな私の前に現れたのは、美貌の持ち主。

 私には精霊の呪いバッドステータスというものがついている。
 精霊の恩恵ギフトと呼ばれるものの中で、特に人に負の影響を与えるものをそう呼ぶ。
 崇め奉るべき精霊に対してとてつもなく失礼な言い方になるらしく、普通は使われていないスラング、罵り言葉だ。

 私についている精霊の呪いバッドステータスの一つが【美貌に弱い】だ。
 この恩恵ギフトのせいで、私は美貌の持ち主に対して非常に弱くなる。
 私にとって美貌は世界の宝だから殺される寸前までは許してもいいかな、という気持ちになるらしい。
 ふざけた恩恵ギフトだけれど、まったく笑えない。
 何故なら、これのせいで、私は美貌の持ち主に殺されかけたことがあるからだ。

 この当人はもう二度と私を殺す気はなさそうだった。
 もう一人の兄であり勇者の、ステファンのことだ。
 精霊神教会とか、悪霊とかの事件以来、人が変わったみたいに穏やかになった。神経質なのは変わらないけれど。

 ステファンの態度が激変したため、屋敷はとても過ごしやすくなった。もう廊下に響く足音にびくびくする必要はない。ステファンに悪戯を仕掛けたあとはびくびくするけれど、それは仕方ない。

 何よりステファンは美しいから、だから――。
 ――あれ?
 えっと、その――。
 ――まあ、いいや。

 つまり、私は美貌に弱い。弱すぎるのだ。
 殺される寸前まで無抵抗。殺された後に抵抗しても遅すぎる。
 だから私はそもそも、美貌の持ち主に遭遇しないよう気を付けるべきなのだ。何を言われるのかわからないのだから。
 何を望まれても、私に抵抗はできないのだから――。

 後宮から、王子離宮に繋がる庭園の中、私は遭遇してしまった美貌の持ち主から逃げるため、全速力で【逃げ足】を行使した。





「不審者が出没致しまして、只今警戒態勢に入っております」
「ふしんしゃ?」

 金髪青眼の美貌から逃げて後宮に駆けこむとすぐに、後宮警備の人に行きあった。彼らが言うには、後宮内に不審者が出現したらしい。
 ここは後宮で、しかも守護精霊なんて大層なものに守られている特殊な空間なのに、色々とずさんだ。

 けれどなんと、その不審者とは私のことだったらしい。
 庭園にいたあの美貌の持ち主が私を不審者と勘違いしたらしかった。
 不愉快そうな美貌の人の機嫌取りをする私だったが、私の方もすぐに勘違いをしていることに気づかされる。

 私はこの美貌の持ち主を女性、しかも、妃候補の女性だと思っていたのだ。
 でも違った。
 妃候補どころか、男だった。

 この国の第一王子であるタイターリスの弟、アーディエニス。
 つまり彼はこの国の第二王子だった。

 覗き見されていたと思っていたらしい弟さんは、私の勘違いぶりを面白がって、なんやかや許してくれたらしい。
 よかった。美貌の持ち主を怒らせたら私の場合洒落にならない。

 後宮での唯一の味方と言えるはずの、以前パーティも組んだ冒険者仲間であるタイターリスは、しかし権力にものを言わせて、私が望まなくても私を後宮に縛り続けるつもりらしい。

「悪いとは思ってるんだよ、本当に。女の子たちの人生を、俺の勝手で弄んでる。報いなきゃと思って色々やってる。エリーゼちゃんのためにも、同じように頑張るさ」

 悪いと思っているわりにはへらへらとしている。
 その顔の形は美貌と呼べる形からはかけはなれている。
 だからタイターリスは私に強制することなどできない。
 私は、タイターリスの願いならいつでも跳ねのけることができるだろう。





 シーザの行動が、身の安全を蔑ろにしすぎていて見ていて具合が悪くなるぐらいだった。
 それに便乗するような形で、侍女たちに、目の仇にするならまずシーザを見てねって、願ってやんわりそう仕向けた私は、本当に具合が悪くなり、後宮の寝室を暗くして、一人落ちこんでいた。

 そうしたら、そこへリールがやってきて、迷宮探索に誘ってくれた。

 リールは人間か魔族か、わからない。判明していない。
 けれど、どちらでもリールがリールだってことは変わらない。

 お母さまはステファンに修行をつけたがっていたみたいだけれど、厳しい修行を嫌がるステファンを連れて、私たちは兄弟三人でパーティを組んで迷宮に挑戦することになった。

 ステファンはお母さまから逃げるためだろうけれど、あまり文句も言わず、私たちを一緒に冒険をする気になっている。

 前よりもずっと仲良くやれてる。
 嬉し――嬉しい? よね。
 嬉しいに、決まってる。だってステファン。こんなに美しい兄。

 前よりもずっと優しくなった。
 迷宮では、力はあるのに、魔物を倒せない役立たずなステファンだけど、色々感じ入ることがあったみたいで、私にひどいことをしたのを謝ってくれた。

 嬉しいはずだ。
 これは和解だ。仲直りできた。
 嬉しい、と思う。私はゆるす。ゆるせる?
 勿論――だってステファンは、美貌なのだから。





 でも、ステファンに関して気に入らないことがいくつかある。
 それは、ステファンが恐がって迷宮探索が全然はかどらないこと。
 なんのために迷宮都市まで出向いたのかわからない。私がせっかく街の外に出られるようになったっていうのに、全然自由を満喫できてない。

 それに、ステファンは精霊神教会の聖女(タイターリスと仲のいい、オリヴィエ・シルフローネ・シーザリアとは違う人)と仲がいい。
 仲がいいなんて言葉じゃ済ませられない感じだ。恋人? というのも少し違うけれど、似たような関係らしくて、苛々する。

 ステファンが誰と付き合おうと構わない。
 だけど相手が精霊神教会の関係者、しかも聖女だと聞くと神経がささくれ立つ。
 聖女シルフローネは私たちハイワーズ家を文字通り皆殺しにしようとした。宗教のために。
 同じ宗教の、同じ役職に就く女がステファンを通じて私に近づくのが我慢ならない。

 だけど、私と普段は折り合いの悪い精霊たちも、この件に関しては私と似たような意見を持っているらしくて安心する。
 それでも、ステファンを守護する精霊たちのことは、あんまり好きじゃない。

 そんな折、悪い報せが私のところへ訪れた。

「後宮からの使者とやらが来た」

 出かけていた私の代わりにステファンが受けとってくれたその知らせ。  ステファン越しに知れてよかったのかもしれない。

「伝言だ。――おまえの侍女が毒を盛られて倒れたと」

 あまりに生々しく、恐ろしい知らせだったから。





 私に見捨てられたシーザが毒を呑んだ。
 これは私のせいだろうか?

 私のせいだとしても、構わない――それと引き換えに私の命が助かるなら。
 でも、私のせいだとしたら。
 私のせいでシーザが死んでしまうのだとしたら?

「……姉さんは考えすぎですよ。シーザという女を思いやってる。そんな必要はないのに」

 リールは慰めてくれる。
 貴族的な価値観だろうか。平民あがりの、侍女のことで、そこまで心を痛める必要はないと思っている。
 まして、私が毒を盛ったわけでもないのだから、って。

 ……なんだか、リールの口調を聞いていると、私が自分の手で毒を盛っても、私を責めたりしなさそう。

 だから、私が気の弱いことをいくら口にして、それを聞いてくれていても。
 なんだか変な感じだ。

「違いますね。姉さんは自分を守るだけで精いっぱいなだけです。もっと自分のことだけを考えていればいいんですよ。誰もが自分のことで精一杯ですよ。大丈夫ですから、どうか安心してください。もう泣かないで」

 私が悪くないと言ってくれる。嬉しいな。リールは優しい。

 ――けれど、私の心は休まらなかった。





 ステファンに勧められて、私はシーザに謝りに行くことにした。
 シーザは毒を呑んだけれど、順調に回復していて、後遺症もないという。ベッドの上で起きあがれるまで回復した頃を見計らって、私は自分の気を晴らすためにシーザに向かった。

 謝らないと、心の中に鬱積していく罪悪感に押し潰されてしまいそうだったから。

 だけど、シーザがいじめられればいいと思って、そうすれば私に矛先がいかなくなると思って、私たちの中で、誰よりも立場が弱いのはシーザだと、喧伝した私にシーザは意外なことを言う。

「それで? それがどうしたんですか?」

 シーザは心底不思議そうにそう言った。

「そんなばかげた、阿呆みたいに、今時子供でもやらないような陰湿な言葉遊びで、私が命を狙われたとでも思ってるんですか? 本気で?」

 シーザにとって、私の考えなどあまりに稚拙で、無意味だった。

「みんな頑張ってるのに。命をかけて、時には悪いことをして、だけど前に進もうとしてることには変わりない。より高みへと昇るために、私を陥れることが必要だったって言うのなら、その方がまだ納得できました。だけどあなたがしているのはただ他人の足を引っ張るだけ。何も変わりません。私がころりと死んだところで、あなたが階を上れるわけじゃない……こんな情けない振る舞い、もう二度としないでください」

 シーザは私に幻滅した……幻滅されても仕方がない。だけど、こんな風に言われるとは思っていなかった。
 こういう考え方があったんだ。
 私は驚きと感動と、衝撃に胸を打たれた。
 シーザは私を叱りつける。
 私がシーザの不幸を願ったからじゃない。そのやり方があまりに情けないからだ。
 目的があるのなら、正々堂々と戦えばいい。勿論、必要なら裏工作を。
 そう言えるシーザの強さが眩しかった。

 昔も、こんな風に私を叱ってくれた人がいたっけ。
 懐かしくて涙腺が緩む。

 叱咤の内容は全然違うものだったけれど、その言葉に込められた強い意志、そのあり方に憧れる。
 私もこうなりたい。こうなろう。
 異世界のやり方や、そこでの考え方、私はまだまだ理解しきれていないけれど、私もこんな風に強くなりたい。

 シーザに一頻り怒られた後は号泣してしまったけれど、何か、陰湿な弱さを守るために防壁を張るのではなくて、激しい強さを守るために、必要なことを教えてもらえたような気がする。

 泣いたら眠くなってしまって、そんな私の腕をとって、ステファンが優しく引いて屋敷まで連れて帰ってくれた。なんて珍しいんだろう。
 ここだけ切りとってみれば、ステファンはいいお兄ちゃんみたいだ。

 このまま眠ってしまえば、いい夢が見れそう。
 なんとか屋敷の談話室まで帰りつくと、私は椅子に深く座りこんで、そのまま眠ってしまった。





 昼間にぐっすり眠ってしまったから、夜は目が冴えていた。
 蝋燭に魔法の火を付ける練習をしたり、本を読んだりしていたら、真夜中に後宮の警備兵が私に訃報を届けた。

「ユーフェリア男爵令嬢ユミン様が、何者かによって殺害されました」

 私の侍女の中の一人。たぶん、ステファンのことが好きだったのだろう人。
 真面目そうな、固い表情の女の子。
 私は彼女のことが好きだったわけじゃない。
 でも、嫌いでもなかった。
 私にとって近しい人が亡くなった。当然、私は詳細を聞きたがったけれど、警備兵は私に情報を渡さなかった。

 事件は調査中らしく、曖昧な情報は渡せないのだろう。わかっているけれど、恐くて、憤ろしくてたまらない。
 もしかしたら狙われていたのは私で、私も殺される可能性があったかもしれないと思うと、たまらなかった。

 だけどエイブリーお兄様に強引に黙らされた。
 淡々と話すお兄様といると落ちついてきた。
 だけど、悪いことは重なった。

 ――夜半、私たちは襲撃を受けた。

 黒い服を着て顔を隠した男たちが剣を片手に談話室に流れ込む。
 これほど自分が弱者であることを思い知らされたことはない。
 私はみじめな家畜のように逃げ回った。屠殺されたくはないから。
 お兄様には反撃する力があった。強いから。だけど私を守る余裕はない。
 私には、自分の身を守る力さえなかった。

 これほど自分の弱さを後悔した夜もない。

 手当たり次第に魔法を放つ。
 自分がどんな魔法を使っているのか、自分でもわからなかった。
 無我夢中で、凶手が私に届かないように何度も願った。
 願いは、叶ってくれた。

 だけど本当に、ぎりぎりだった。

 しばらくしてお父様が騒ぎの様子を聞きつけてやってきた。
 もっと早くきて、助けてくれたらよかったのに。
 そう思った自分が滑稽だった。お父様が関心を抱いているのはお母さまだけ。だから、私を助けるためにわざわざ来てくれるわけがない。
 ――そんなこと、生まれた時からわかっていたのに、期待するなんてバカみたいだ。

「随分魔力を使ったのだね。かなり危険な域まで魔力を消費しているよ」

 お父様は私を見てそう言った。
 だから、身体が重くて寒いのかもしれない。胃が痛くて、身体が震える。

 お父様は助けに来てはくれなかったけれど、私に魔力を分けてくれた。
 魔族に力を借りる。おとぎ話ではひどい結末が待っているけれど、私の場合はどうなるんだろう?

 実の親に力を借りることがそんなに悪いことだろうか。
 ……弱いままで生きていくのが不安すぎるから、例えどんな結末になろうと私は強くなるために手段を選んでいられない。

 襲ってきた人たちの亡骸を調べると、彼らの所属する組織がわかった。
 彼らは悪魔信仰者だった。
 彼らは、私を狙った。
 私がハイワーズ家における――魔族が倒すべき勇者と元勇者を除いた――唯一の人間だったから。

 どこかで私が人間だということが知られて、私が狙われた。
 私は命を狙われて、ようやく理解した。
 シーザが言っていたように、情けない振る舞いをしている場合じゃない。
 私は自分の命を守るという目的のために、できることを全力でやらなければならない。

 中途半端なことをしている余裕はない。
 全身全霊をかけた、これは、戦いだ。





 私が命を狙われたためか、エイブリーお兄様が私に護衛をつけてくれた。騎士見習いの少年。腕は立つらしいけれど、ちょっとヘンな子だ。

「これからはぼくがエリーゼ様をお守りしますね」

 ディータという少年の言葉に何故か苛立つ。
 にこにこしていて、折れなさそうで、何を言っても堪えなさそうで、手ごたえのなさそうな感じが気持ち悪い。

 身を守るためには仕方ないから同行させる。
 私に近づいて来た浮浪者然としたフィンを牽制するための、無駄のない動きには感心させられたけど。

 私にはディータに構っている暇がないし、そもそもディータでは足りない。
 浮浪児たちをまとめ上げ、アーハザンタス中に情報網を敷くフィンからあげられた報告は、驚くべきものだった。

「新興商会ビスタ。後は港湾都市に根付いた水産業が盛んなソマリオラ商会に、冒険者相手の商売で大陸中に商売を広げてるディアストール商会」
「ソマリオラ。ディアストール」
「暫定的な、おまえの敵だよ、エリーゼ」

 私を襲った悪魔信仰者。彼らをこの街に引き入れた敵は、三つの商会のうちのどれか。それとも全てか。
 この商会のどれもが、私が特許をとったトランプを通じて、利益を得た人たちだった。

 私は知らぬ間に、自分で自分の首を絞めていたのかもしれない。
 今更、なんの意味もないことかもしれないけれど、行動せずにはいられなかった。

 私は大聖堂にいって、精霊の御代から、トランプの特許に関する決まりを変更した。

 ビスタ商会、ソマリオラ商会、ディアストール商会以外の全ての商会にて生産・販売が可能。
 上記三商会においては
トランプに関するいかなる流通にも関わることを禁止する。

 これで何が変わるだろうか?
 些細な行動だ。だけど、例え些細な変化でもいい。

 もっと大きな変化も欲しいから、私はフィンに注文する。
 お願いではなかった。私はお金を支払って、フィンの行動を買う。
 私たちはお友達ではないから、仕方ない。

 そんな私たちのやり取りを見て、ついてくる面倒な護衛の少年、ディータは私が家のお金に手を付けたと疑いをかけてくる。
 エイブリーお兄様のところに連れていけば、そんな誤解はすぐに晴れるだろう。
 けれど、今や、そんな時間すら惜しいのだ。
 それがわからない番犬が私に吼えついてくる。

 私は自分の命を守るために精一杯の努力をして、前に進もうとしているのに。
 例え家のお金に手をつけていようと、邪魔されるのは我慢がならないだろう。
 まして私が使ったのは、私が自分の行動で得たお金だ。
 鬱陶しくてたまらない。
 ――ならば振り切ればいい。

 私が後宮へ入ると、守護精霊の力により、ディータは私についてこれなくなる。
 彼のことなんかどうでもいい。
 後宮の侍女たちのことも、今やどうでもいいと思えた。
 出会った時には僅かな怯えを感じていたのに、今の私には彼女たちの言葉が何一つ響かなかった。

 彼女たちは私を柔らかい言葉で従わせようとする。
 何故なら、彼女たちは私を凌駕する力を持っていないからだ。
 後宮での地位は私より低く、言葉以外に私を御する手段がない。
 だけどそんなものは、意志の力で簡単に跳ね付けることができる。

 更に言うと、私は権力もそれほど恐くなかった。
 タイターリスが私を前に、最近権力をちらつかせるけれど、私にとってそれはあまり意味をなさない。
 私は権力なんて欲しくないし。権力者が私を虐げようとするのならば、逃げ出すだけだ。逃がさないと言われても、絶対に逃げおおせてみせる。

 私のその意志が伝わったのか、タイターリスは私に権力をくれた。
 逃げ出されるよりは利用される方がましだと思ったのかもしれない。
 王宮内部を自由に歩くことができる許可証、のようなカードをもらった。
 こんなものがなくても、私は必要なら、どこへでも入って行くけれど、もらえるものはありがたいから、貰っていく。

 私が注意すべきは美貌だけ。何故なら私は【美貌に弱い】。
 精霊の恩恵ギフトにより、私は強制的に従わされる。
 これは精霊の呪いバッドステータス。
 意志の力では跳ね付けることはできないからだ。

 だから、後宮をうろついていて、美貌の第二王子アーディエニスと遭遇した時には、息が止まった。

「――アーディエニス」
「様とつけるんだ」
「アーディエニス、様」

 やがてこの国の王になるタイターリス?
 魔族のお父様?
 私を襲ってきた悪魔信仰者たち?

 ――そのどれよりも恐ろしい遭遇。私は唯々諾々と従ってしまう。
 相手が私に対して害意を持った時点でアウトだ。
 そうだと判明した時には、もう遅い。

「いい子だね、エリーゼ」

 何を言うのだろう。何を考えているのだろう。
 何を私にさせようとしているのか。その内容によっては私の命が危うかった。
 最近は、この恐怖を忘れていた。
 ステファンも、エイブリーも、随分丸くなったし、私自身、二人には慣れてきている。語彙も把握しているし、意志の行き違いも起こらない。

 だけど、このひとのことはわからない。
 だから、このひとの言葉を聞いてはいけない――。

「――すみません漏れそうなんでトイレ行ってきます!」

 私は叫んで逃げ出した。
 きっと目の前で漏らされるのは嫌だと思ってくれるだろう。
 それぐらいなら、言葉を遮られるのもやむなしと考えてくれるんじゃないだろうか。
 不愉快にさせていないだろうか。
 私は慎んで彼の言葉に耳を傾けた方がよかったんじゃないだろうか?

 そんな思いを振り切るように走っていた私は、すれ違った貴族に呼びとめられて足を止めた。





 デザイートスという貴族の男性は、幸い美貌ではなかった。
 その上、私を王子のいない場所へと連れていってくれそうだった。
 これから木蓮会とかいう会があるらしく、私のことも招待してくれるらしい。

 王宮の中でかなり適当な格好をしている私を見て、冒険者だと見抜いてくれたデザイートスに、嬉しくなってほいほいついて行ったのだけれども、彼と出会ってすぐに雲行きが怪しくなった。

 横でデザイートスがお供の人と話をしているのを聞いていたところ、エイブリーお兄様と確執があるようだった。
 お兄様に対して激しい怒りを覚えているらしい。
 何かお兄様にされたらしい。
 騎士としては普通に優秀だと噂に聞くお兄様のことだから、デザイートスは何かの悪事を働いたのかもしれない。
 でも、お兄様のことだから、普通の人間なら言わないような物凄く失礼なことを言いでもしたのかもしれない。

 何にせよ、そんなお兄様の妹である私は、彼らについて行かない方がいいだろう――そう考えた時には遅く、私は無理やり彼の私物である馬車に乗せられた。

「僕の名を聞いて、悪い噂でも思い出したか? 今頃遅い。おまえが今日の犠牲者だ」
「……犠牲? それは何ですか? 私を殺すんですか?」
「物騒だな――なんだ、噂を知らないなら気にする必要はない。無礼な噂だ」

 彼の様子からして、命をとられることはないみたいだった。
 最悪、魔法を使い【逃げ足】で逃げればいいだろう。
 警戒はしていたけれど、途中、デザイートスが屈託なく自慢話をしてくれるから、ついつい聞いてしまった。

「ここから僕の屋敷が見える。素晴らしい屋敷だ。崖が見えるか?」
「崖?」

 なんと、この街アーハザンタスには、古い魔法が仕掛けられているらしい。
 その魔法のせいで、私たちには見えないし気づけないけれど、街のど真ん中より少し左側に、大きな崖があるという。
 その上には彼の屋敷があるのだそうだ。

「僕の屋敷の周辺には、古い魔法がかけられているんだ。アーディン家に古くから代々伝わってきた由緒正しい屋敷で、アーディン家の血を引く者しかその魔法を緩めることができず、そこに屋敷があることにすら気づけない。近づくことさえ困難だ。王宮にかけられている魔法と遜色ない、偉大な魔法を受け継いでいる――アーディン家が古の王祖の血縁である証拠だと僕は思うね。僕にもこのアールジス王国の王たる素質があるのさ」

 不思議な魔法のお屋敷に心ひかれて、ついに屋敷までついていってしまった。
 何が起こるのだろうか。
 屋敷に近づくと、警戒していた私は、意識の端に魔物の気配を捉えた。

 更に強い警戒心を働かせたけれど、屋敷の中にいたのは魔物一匹きりだった。しかも檻の中に入っている。
 拍子抜けしたエリーゼを見て、デザイートスの方も拍子抜けしたみたいだった。私を恐がらせたかったみたいだ。

 犠牲って、このことだったんだろうか。
 大したことがなくてよかった、そんなことを思っていた私は甘かった。

 デザイートスは趣味の悪い遊びの常習犯のようで、私を魔物の檻の前に引き倒した。抱くとかなんとか言っていて、私はピンときた。

 お兄様、きっとバカにバカって言ったんだろう。
 バカにバカって言ったら、怒るに決まってるのに。バカはバカなりに自分がバカであることを理解してるんだからさ。

 本当のことを指摘されることほどむかつくことはない。

「代わりに願いを叶えてやる。金でも、土地でも、仕事でも、男でも」

 具体的な願いは思いつかない。
 思いついてもきっと、上にのしかかってくる軽薄な笑みを浮かべたこのバカそうな男には叶えられない。

「今日の余興は魔物を嬲り殺す予定だった。だが、その前に魔物の目の前で女冒険者を犯すというのも一興だ」

 やめてと言ってもやめてくれない。
 掴まれた腕に力を込めてみたけれど、単純な力では跳ねのけられない。
 権力に頼ろうとしてみたけれど、後宮の妃候補だとバラしたら、勇者の妹――つまりエイブリーお兄様の妹であることもバレてしまった。

「忌々しくも僕から副隊長の座を奪った男! 準男爵ごときの倅でしかないくせに、正当なる王位継承権を持つ僕に逆らった憎き竜殺しの妹が、どういうわけか僕の手中に落ちてきていたぞ。この幸運を利用しない手はない!」

 事態が悪化した。
 あと私に打てる手は、そう多くない。
 手を打たせて欲しくない。きっと、どうにかできてしまうだろう。
 エイブリーの生来それほど焼けない肌とは違い、生白い肌を見れば彼が訓練をサボっていることも容易に想像がつく。
 生きながら焼かれたり、肺に水を送りこまれて窒息させられたり、風で身を切られたり――彼には耐えられないんじゃないだろうか?

 その一瞬のためらいが、最悪の事態を招いた。
 デザイートスが雇っている冒険者が、私が魔法を使えることを暴露したのだ。
 冒険者は基本的に、仲間だと思っていたのに!
 恨みをこめてそちらを見やるけれど、何一つ堪えた様子なく、彼は私から視線を外す。

 口を塞がれそうになり、抵抗して顔を背けながら、布を詰めこまれる前に行動を起こそうとした――その瞬間、私は奇妙な物を見た。

 檻の中にいる魔物、バグキャットの様子がおかしかった。
 バグキャットは檻の中で膨らんでいき、檻がみしりと音を立てた。異変に気づいたデザイートスが呆然としてぐずぐずしているのを押し退けて、私はすぐに戦闘態勢に移る。

 魔物を取り扱うためか、広場には私以外に冒険者が三人も待機していたのに、誰も何もしなかった。
 バグキャットの異様な様子に怖気づいて、近づくことさえ恐いという。

 私より強そうな冒険者たちが一人、二人と逃げ出していく。
 さっさと逃げて欲しい一般の人たちは、腰を抜かしていたり、めそめそと泣いていたりして、逃げてすらくれなかった。

「キシャあアアぁあ」

 気色の悪い鳴き声をあげる禍々しい顔つきの猫が膨らみきり、壊れた檻から這い出してくる。伸び縮みしながら床を伝い、泣き喚いた末に無力にも気絶した女の元へ向かう。

 彼女のために動こうという気があるのは、どうやら短剣を持っただけの、この場で一番か弱い私だけみたい。

「他のやつに任せときゃいいのにー」

 剣を構えバグキャットに向かう私に、冒険者の男が囁いた。
 ここに女性を置いて、自分の足で逃げられる人だけで、逃げ出して。
 誰かが全てのかたをつけてくれるのを待てばいい、と。
 その間、囮になるあの女性は死んでしまうだろうけれど。

 甘い誘いを跳ねのけて、私は彼の提案も受け入れない。

「いつでも任せられるのならそうしたいけど、そうできない状況が来たら困るでしょ。――私は戦うことにしたんだ。自分の力でやれるように。ほら、宿題をいつも友達にやってもらってたら、自力でやる力が付かないでしょ? それと同じ」
「何と同じ?」

 宿題をやったことがないのかもしれない。冒険者はよくわかっていなさそうだった。
 理解されなくても構わない。結果だけ残ればいい。
 私はバグキャットに短剣で向かう。バグキャットの動きは遅いけれど、私も鈍いから、攻撃と同時に攻撃を喰らう。

 歯を食いしばって痛みを堪えて、魔法で治して次の行動に移る。
 怯んでいたら倒されてしまう。
 幸い、私が全力を振り絞れば、そこそこ攻撃は効くようだった。

 短剣で斬りつけて、バグキャットの爪にやり返されては、魔法を使って身体を治す。
 些細な怪我は放っておく。魔力がどんどん減っていき、すぐに胃の底に冷たい固まりが蟠る。

 自分の弱さを冷静に見つめながら、バグキャットが血だまりの中に動かなくなるまで、懸命に腕を動かし続けた。
 バグキャットを倒した時には、ぼろぼろだったけれど、嬉しかった。

 私は弱いけれど、このバグキャットよりは強かった。
 その事実に安心した、直後だった。

 身体が熱に包まれて、次々と怪我が治っていった。
 生まれ変わるような爽快感。
 湧きあがる熱は身体中に散っていって、軽い酩酊も感じた。

 足下では、金色の魔法陣が虹色の光を発しながら回っていた。
 そこには古代魔ルト語でこう書かれていた。

《――理からの逸脱(レベルアップ)》

 私はレベルアップしたらしい。
 というかそもそも、理って逸脱していいものなんだろうか。
 精霊が大切にしている、よくわからないもの。

 レベルアップという名称からして、もしかしたら私は強くなったのかもしれない。

 魔物を倒せた。
 強くもなれた?
 ――怪我は治って、身体の調子は良く、気分もいい。

 きっと私はこの世界で、生きていける。
 僅かに生まれた自信を握りしめて、逃がさないように胸に抱きしめた。







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