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新王の逡巡


 魔族たちの宴はあまりにも密やかに、穏やかに行われ、終わるとすぐに彼らはその場を離れていった。
 彼らが生まれてから長い時を過ごしたはずの屋敷はあっという間に捨ておかれた。人間であるはずの――勇者はともかく――特に目的を持たないはずの次女までもが瞬く間にこの地を去り、もはや人と魔族との間に生まれた歪な騎士しか残されていない――。

「お、おい。本当にいいのか? やっぱり、やめた方がいいんじゃ――」
「あなたが元勇者や灰色の黒――母上や父上の持ち物が欲しいとおっしゃったのではありませんか」
「そのバカ丁寧な言葉遣いはよせ!」

 デザイートスは叫んだ直後には怯んだ。目の前に立つ屈強な肉体を持つ騎士が、かつて己を侮辱し痛めつけた男だと思い出したからだ。
 だが、すぐにまた別のことを思い出した。
 この男――エイブリー・アラルド・ハイワーズの美貌に浮かぶ困惑した表情を見て、この男は本当に〝理解できない〟のだと理解する。

「……もう、いい。好きなように話せ」
「俺は貴方に敬意を払いたいだけなんだが」
「僕をバカにしているわけじゃないんだよな?」
「すまない。バカにしているように見えるか?」
「いいや、見えないね。これこそ夢にまで見た構図だよ。おまえが僕に服従の意志を示すなんて……だが、実際に見ると悪夢でしかない」
「俺は何か気に障るようなことをしているか?」

 エイブリーの、エリーゼと同じ赤色の瞳は曇ることなく純粋にデザイートスを見据えていた。デザイートスの発言によっては、己の〝過ち〟を正そうと本気で考えている。
 今のデザイートスにはその理由がわかっている。
 彼の父親が彼の母親の魂を瓶詰にしていた。その光景は恐ろしいというより幻想的で、忌避感を抱かなかった。だからその二種族から均等に性質を受け継いだ末に形作られているエイブリーという存在の歪さを、丸ごと理解することができた。
 だが、その歪を理解できない傍目にはどのように見えるだろうかと考えると、憂鬱だった。

「――おかしいんだよ。普通、こんなことはありえないんだ。上に立つのは常に優れた人間で、僕みたいなのは下に見られるのが当たり前なんだ」
「貴方は精霊によって王に選ばれた男」
「ただ血筋が良かったからだ。それに、運も良かった――いや、悪かったのか?」

 いやな考えが毒のように身体を巡る。鉛を呑んだように手足が重くなり、足が萎えるままに近くのベッドに倒れ込んだ。
 枯れ草のような匂いがするベッドはデザイートスの騎士となった男の母親が使っていたものだが、寝転がられてもエイブリーは何一つ感じているようには見えなかった。

「顔色が悪い。お加減がすぐれないのでは?」
「ああ。最悪の気分だ」
「では少し休むといい。陛下の役に立ちそうなものは俺が探しておく」
「なんでこんなことになったんだ……?」
「どうせエリーゼのせいだろう」

 エイブリーが投げやりな口調で言うのを聞いて、デザイートスはベッドから起きあがった。興味ありげな眼差しを向けるデザイートスに気づいて、エイブリーは自然と口を開いた。

「俺の妹はやたらと無茶な真似をして、何故かことごとく事を大きく面倒にする」
「わかる。それは、すごいわかるぞ」
「人間の小娘ごときと油断していたら、このざまだ」
「そうだ。その通りだ」
「一体俺の何が悪かったんだ? 最近はそれなりに気を使っていたつもりだったんだが」
「たぶん、おまえは何も悪くないぞ」

 エリーゼに関してだけは奇妙な共感を抱きつつ、デザイートスもエイブリーと共に元勇者の寝室を捜索を開始した。エイブリーが事務的に部屋を荒らしていくのを横目に、デザイートスは枕元に置かれていた絵画を眺めた。やけに古い絵だが、間違いなく元勇者アイリスと魔族アラルドの似姿だった。

「勇者と魔族の夫婦か……こんなことが知れたら精霊神教会はどうなるんだ?」
「発狂する者が出るだろう。悪魔信仰者にも暴走する者が出たようだし、ハイワーズ家の命脈は母上の命数と同様尽きていたのだ。エリーゼたちが出奔したのは正解だろう」
「おまえはそれでも残るのか?」
「ああ、残る。父上の残した屋敷を守らなくてはならないし、ハイワーズ家の名をこの国に刻まなくてはならないからな」
「この家の命数は尽きてるんだろ? おまえも危ないんじゃないのか?」
「俺一人ならどうにでもなる」

 半透明の女性がデザイートスとエイブリーの間でくるくる回って胸を張った。自分が助けになると言いたいらしい。
 デザイートスの母の亡霊にしてここアールジス王国の新しい守護精霊が胸を張る姿に、彼女の言いたいことを読みとったエイブリーが胸に手を当てて礼をした。

「お気遣いいただき感謝する――……そういえば、貴方のお名前は? ジスではないだろう」

 エイブリーに名前を聞かれ狂喜乱舞した母親にせっつかれ遠い目をしながら、デザイートスは深い溜息と共に答えた。

「マリエラだ。……好きに呼べ」
「マリエラ様、貴方の庇護があればハイワーズ家は更に繁栄することでしょう」
「おまえが望むなら母さまはおまえを王にだってしてくれるだろうよ――おい! これはなんだ?」

 エイブリーが空けっぱなしにして放置していた机の中にあるものをみて、デザイートスは目を瞠った。どれもガラクタのように見えるがそうでもない。

「これ……潰れた硬貨のようだが、材質がまるでわからない。いや……まさか、ミスリルか?」
「俺にはガラクタにしか見えなかったが……」
「この白い笛はドラゴンの骨だ! おまえの目は節穴か!? 竜殺しドラゴンスレイヤーが聞いて呆れる!」
「それは、面目ない」
「この汚らしい毛皮の袋にも何か秘密があるに違いないぞ……中にドングリが入っているが、これも貴重なものに違いない」
「そうかもしれん。俺にはわからんが」
「ぜ、全部僕が貰って行くぞ。本当にいいんだな!?」
「ああ、構わない。陛下の御代の礎となればいいんだが」

 何かしらの貴重な物と見える品々を片っ端からかき集め、デザイートスは懐にしまった。それを見てエイブリーは口を開いた。

「満足したか?」
「ああ、こいつらが何か特別な価値のあるものじゃなくても、歴史的に見たら十分貴重な資料だぞ!」
「それではそろそろ、戻るべきでは?」
「え」
「陛下のおはすべき場所へ。皆に新王が誰なのかを知らしめなければならないだろう」 「い、いや……!」

 デザイートスの言葉にエイブリーは首を傾げて逡巡した。

「……それはどういう意味なんだ? 嫌だという意味か? それとも、玉座に座る前にやるべきことがあるということだろうか?」
「あ、ああ! そうそう、そうだよ! 僕はまず一度家に帰りたいね! 服を着替えたいんだ! 身体も清めたい!」
「そうか。身なりを整える必要はあるな。玉座につく前に潔斎するのはいいことかもしれん」

 エイブリーを丸めこんだデザイートスは、胸を撫で下ろすとアーディン家の屋敷に至る道を見据えた。
 小高い丘も、アーディン家の屋敷を擁す崖もただ視線を向けるだけでは視認できない。
 しかし今のデザイートスには、見ようと思えば魔法に隠された勇者の墓を守る屋敷が見えるような気がしていた。







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