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人と魔の家族







夕飯の時間になってもディータは戻って来なかった。
宿の食堂には一応ディータの分を取り分けてもらい、エリーゼたちは部屋に戻ろうとした。
ちょうどその時、ディータは宿の玄関扉を開いて戻ってきた。

「あんた、うちの客に何か用かい?」

宿の女将さんが少々辛い口調で声をかけていた。
先日、エリーゼたちと共にお金を払って部屋をとった客だと気づかなかったらしい。

煤けた外套に埃まみれのブーツ、薪の括りつけられた背負子をしょっている。
まるで外で木を集めて町で売り歩く仕事をしている家の子供のような装いだった。
それは町に暮らす貧乏人の仕事だ。魔物の出没する町の外での活動はとても危険で報酬は僅かだけれど、必ずお金になる。
魔物を倒せる冒険者は、わざわざ重くて旨味の少ない木を拾って集めてきたりはしないものなのだ。
……つまり、ディータはまるでこの町の貧乏人の子のように見えた。

「あはは、ぼくは客のほうですよう……エリーゼ様、ただいま戻りました!」

女将さんに不審そうに見つめられつつ部屋に戻ると、ディータは薪を置き、てきぱきと身なりを整えると、椅子に座りエリーゼが取り分けておいた料理を食べながら笑った。

「ああ、美味しいですね。即席ですけど薬を飲んで吐いたり下から出したりしてしまって空っぽだったので、しみわたります」

エリーゼとリールは並んでベッドに座っていた。
この部屋には四つベッドがある。男女で分けるべきか迷ったものの、リールがエリーゼを見張らないことには夜も眠れないと主張したため、中部屋になった。当然シーザはディータとの二人部屋を拒否したし、シーザとディータのために一人部屋をそれぞれ借りてあげるのもお金がかかるので、みんな一緒である。
エリーゼもシーザもリールも湯を使った後で、さっぱりして、エリーゼとシーザは寝間着代わりの、下着よりは厚手の麻の肌着を身に着けている。
いつもはワンピースの下に来ている肌着だ。
リールもブーツを脱いで、麻の肌着にズボンといったいでたちだ。

中学の合宿めいた雰囲気に、薄汚れて頬のこけたディータだけがそぐわない。

「空っぽって……なんでそんなことしたの?」

ディータの言葉の意味がわからずエリーゼが問うと、ディータは野菜スープを呑み込んだ後の笑顔のまま言った。

「貧乏人に見せたかったので。痩せ細って、げっそりした顔になるためですよ」
「えぇえ……意味わかんないんですけどー…」
「シーザさんにはわからないかもしれないですけど、エリーゼ様だったらわかってくれるんじゃないですか? エリーゼ様がバターレイの孤児たちにさせたことを、ぼくは自分一人でやろうとしただけですよ」

同情を引くような姿、あるいは取るに足らない者のように見せかけて、情報を手に入れようとしたということだろう。
そのことはこの際、どうでもいい。
問題は――バターレイの子供たちがそういうふるまいをしていたことが、エリーゼの指導によるものだと、なぜかディータが把握していることである。

「ほんっとディータって胡散臭いよねえ……本当にバラッドに勇者側の勢力として出てくる気あるの?」
「大ありですよ! 誤解されては困ります! 確かにあんなに目立つ女の子なのに、情報収集ははかどりませんでした。でも、バラッドに取り上げられないほどの無能でいるつもりはありませんよ!」

ディータはぷんぷんと怒りながら言うけれど、そういう問題じゃない気がする。

「今のところは見逃してあげますよ。それより、得られた情報とやらについて報告を」
「はい、リール様。……とりあえず、この町の一般市民の生まれではないと思います。少なくともここ十数年、この町に根付いて育ってきた子じゃありませんね」
「そう判断した理由は?」
「一般人への聞き込みです。しかも年齢的に若い人へ。知っていた上で誤魔化そうにも、嘘を吐く経験も訓練も乏しい人たちですね。だけど、闇ギルドは何かを知っているようでした。ただ、この町の闇ギルドは口が堅いです」
「闇ギルド!」

ディータの口からさらりと出てきた言葉にエリーゼは少し驚いた。
そんなエリーゼを見たディータもまたきょとんと眼を丸くした。

「何を驚いているんですか、エリーゼ様。王都アーハザンタスの闇ギルドの首領とあれだけ親しくしていた方が」
「……首領? まさかそれって、フィンのこと?」
「そうですよ。あの男の目のある縄張りから情報を得るのはまた難しかったですけど……今回の情報の少なさは、また別問題のような気がします。あの男はすでにある程度拡散していたエリーゼ様の情報を隠そうとし、ある人間には口止めを、ある人間は口封じをといったことをしていたようでしたが」
「フィンはそんなことしてたの!?」
「――ですが今回の場合、一般市民はあのエルという女の子のことを知らないようでした。闇ギルドは、特に口止めをされているわけでもないようでしたが、どうも口が重たい様子で……エルという子のことを敵に回したらいけないと思っているようでした。この町の最大勢力は、エリーゼ様もご存知ですよね?」
「ディアストール商会、だね?」
「はい。それに、ディアストールから排出される魔女たちですね。闇ギルドの人間は、その魔女たちをことのほか恐れているようでした」
「魔女……」

エリーゼとリールは視線を交わした。
エルが尾行して、その行動を把握したいと願っていたのはディアストールの人間であるアキムである。
それに、エルが持っていた、古代魔語で魔女と書かれた印章も気になる。
エル自身の口からエリーゼに語られた魔女の弟子への勧誘の件もある。
間違いなく、あの美少女はディアストールと魔女の二つのキーワードと繋がっている。

「ねえリール。これは、虎穴に入らないと虎児を手に入れられないっていうやつかもしれないね?」
「飛んで火に入る夏の虫、にならなければいいんですが……どうせディアストール商会のあの男の調査もしなければなりませんし、ギルドがあの依頼を受理しているのであれば、魔女とやらについて調べないといけないかもしれませんね」

リールは深い溜息を吐いた。エリーゼがもうすでにわくわくし始めていることに気づいたのだろう。

「姉さん、魔女の弟子にはさせませんからね?」
「ええっ!?」
「……怪しげなことをさせるくらいなら、冒険者として迷宮に潜っていてくれた方がまだましです」

エリーゼが不満げな表情を浮かべるのを見て、リールは膝を詰めると、隣に座っていたエリーゼの手を掴んだ。

「姉さん、ボクの目を見て下さい」
「リール?」
「あのですね、姉さん……まだボクたちは、危険を脱してはいないのですよ。王都で貴女がしたことを責めるつもりは毛頭ありませんが、貴女のしたことはある種類の人間たちに、必ず恨まれるようなことなんですからね?」

そんなことは、わかっている。
まず間違いなく、タイターリスはエリーゼを恨む立場だろう。
何しろ、エリーゼはアールジス王国の守護精霊を廃した。
廃された守護精霊は、アールジス王国の現王家が約束を守っていないことに気づき、激怒した。
己を騙していたこれまでの王統を許さず――短命の人間であるが故の誤解があったような気はするけれども――新しい統治者を勝手に据えてしまった。

王子であったタイターリスから、その称号は永久に剥奪された。
守護精霊から権力や名誉を奪われたそもそもの理由はエリーゼにあり、彼を始めとするかつての権力者たちが、エリーゼを恨み憎まない理由がない。

「姉さん、わかっているのに……想像できないんですか? 彼らは、姉さんを殺しにくるかもしれないんですよ」
「私を、殺しに」
「恨み憎んで、害そうとするかもしれないんです。まだ、ここは危ないんです。手形がないのでしばらくはこの町で過ごすことになります。それは仕方のないことですけれど……姉さんにはもう少し、危機感を持ってほしいです」
「――危機感なら、あるつもりなんだけど」
「そうは見えません」

見えない、だろうか? エリーゼは視線を巡らせた。シーザも食事をぺろりと完食したディータも、リールの言葉に頷いた。
エリーゼには、わけがわからなかった。
これほど忍び寄る死に怯えているのに、それが伝わらないだなんて不思議だった。

「絶対に死にたくないから、本当に気をつけているし、警戒しているつもりなんだけど――」
「――でも遠い、ですよね」

 リールは長い睫毛を伏せて言った。

「確かに貴女は本当に怯えているのだろうし、怖がっているんだと思います。ですけど、本当にその危機に直面する寸前まで――まるで貴女はそれを絵本の中で起きている夢想のような、現実味のない夢のようにも感じているでしょう?」
「……リール?」
「ボクのことが、わかりますか? 姉さん。ボクが弟のリールだと、理解できていますか?」

ハッとして、エリーゼはその森色の瞳を覗き込む。
揺れる緑の瞳には不安が映り込んでいた。
その瞳を見つめるエリーゼ自身の顔も写り込んでいて、そちらはむかつくくらい間抜けな顔でぽかんと口を開けている。

「もちろん……リールのことは、ちゃんと、弟だって、思ってるよ」

数か月前に、王都アーハザンタスの迷宮にて。
エリーゼは自分を心配してくれているリールに、これまでリールを弟だとは思ったこともなかったと言い放った。
全てが仮初の出来事のように感じられて、まるでゲームの中のようで、攻略するように迷宮探索を楽しむ数か月前の自分から、まだそれほど変化はない。

けれど、ちゃんと実感を持ちつつあることだって、確かに手のひらの中にはあるはずなのだ。

「わかってる……わかってるよ……」

エリーゼは手を伸ばし、自分とよく似た色をした、リールの髪の毛を撫でた。
髪質もよく似ていて、顔立ちはあまり似ていなくとも姉弟らしい。

「リールは弟で……私はこの世界に生きていて……」

私が帰るべき元の世界なんてものはもはや存在していなくて。
この世界を形作る精霊たちには異物と見做され、精霊たちと敵対する魔族にすらも存在を否定されて。
エシュテスリーカという精霊が言うには、レベルをあげないと、死んでしまう。
意味がわからないけれど、何が起こるのか、結果だけは知らされている。
どうしてと叫んでも、誰も答えてくれないこともわかっている。

「……わかって、る」
「リール様、エリーゼ様の様子がおかしいです」

俯いて、エリーゼは動かなくなった。
手を伸ばしかけたディータを、リールが制した。

「ディータは姉さんに触らないでください。姉さん、姉さん? ――ああ、現実を直視するのが怖いんですね」

リールの髪の毛に触れ、その頬に手を滑らせた状態で、エリーゼは凍り付いていた。動けなかった。
その身体を、リールが抱き寄せて、エリーゼの頭に頬を寄せた。

「すみませんでした。考えなくていいことまで、考えさせてしまったようですね」
「リール……」
「姉さん、大丈夫ですよ……姉さんがボクのことをちゃんと見てくれるのなら、ボクが姉さんを守ります」

温かい身体に抱き締められて、エリーゼは自分が震えている事に気がついた。
その耳元で、リールは優しく囁いた。

「ボクのことを、ちゃんと見てくれなくても守りますけど……せめてボクのことだけでも見てくれませんか? そうしたら、他のモノは何にも見なくてもいいですよ?」

優しく、甘く囁く声を聞いていると、ぼんやりと心地よくなってくる。
リールに頭を撫でられ、髪の毛を梳かれながら、エリーゼは生ぬるい眠気を感じた。
この感覚に身を委ねて、何も考えずにまどろんだらさぞや安心できるだろう。

「うわ、こわっ」
「……ディータ、うるさいですよ」
「いや、リール様……割と洒落にならないですから、私たちが見てるとこではやめてくれません?」
「シーザも黙っていてください」
「私の見てる前でエリーゼ様の魂を瓶詰にしようとしたら、リール様、流石に本気で殴りますよ? 【剛腕無双】の本領、味わっちゃいます?」

エリーゼは重たくなっていく瞼を押し開き、ゆっくりと視線を部屋に巡らせた。
まどろむにはリールとディータ、シーザのやり取りが煩すぎる。
せめて私の縁談がまとまってからやってください! ととても薄情なシーザの言葉を聞いていると、おかしくなってとても眠る気分じゃなくなった。

「はあ……別に、姉さんの魂をどうにかしようだなんてしてませんよ……ただ姉さんには、もう少し現実を見て欲しかっただけで」
「本当ですかぁ? 悪魔と囚われた犠牲者って雰囲気でしたからね?」
「これはただ、落ち込んでいる姉さんを励まそうと思っているだけです。弟としてできることをやろうとしただけですよ」
「うーん、毒々しい姉弟愛ですねえ」
「――ディータ、ひどい言い草だね。リールは私を心配してくれただけだよ!」

エリーゼは、顔をあげた。おかしくなってきてしまって、目が覚めてしまった。
ぎゅう、とエリーゼからも抱き付きながらそう言うと、リールがエリーゼの頭をぐいと押して引きはがした。

「元気になったようなのでもういいですね」
「えええ、もう少し姉を労わってくれてもいいんだよ……?」
「甘えないでください」

ピシャリと言われて半泣きになるエリーゼは、いつもと同じようにシーザやディータと軽口を叩きつつ、寝る前の時間を過ごした。
そうして、くだらないことを話したり、笑ったりしながら、エリーゼはリールの言葉の意味を考え、そして、心のどこかで気づいていた。
この状況で気楽に笑ったり先を楽しみにしたりできることが、そもそも現実から目を逸らしている証拠なのかもしれない、と。

(でも、どうしようもないことだもん……だから)

今できることだけを精一杯やりながら、楽しく、ワクワクして過ごしたい。
まるでロールプレイングゲームの主人公になったかのように、この異世界を楽しんでいる間は、益体もないことを考えずに済むだろう。
けれどリールが弟である、という事実が……エリーゼにとってとても大事なことであるせいで、混乱する。
ここにいるのは楽しいゲームの登場人物でもお助けキャラでもパーティメンバーでもない。
エリーゼの、弟。

「姉さん」
「……なあに、リール?」

エリーゼは微笑んでベッドの弟を振り返った。
表面上はいつも通りに見えるはずで、ディータもシーザも気づかない。けれど、姉の些細な変化にリールは気づいたようで、エリーゼを呼ぶ。
ベッドに寝転がり、赤の勇者の物語を開いていたリールは、それを閉じて起き上がった。
エリーゼが近づくと、リールはその腕を引いてベッドに転がした。

「今夜は一緒に寝てあげますよ」
「わ……嬉しいな」

リールが転がるエリーゼの頭の下に手を入れて、頭をあげさせると枕を挟んでやる。
枕の上にエリーゼの頭をそっとおろし、薄手のシーツをエリーゼと共に被ってその隣に寝ころんだ。
その様を見ていたディータは気まずそうに申し出た。

「あの、ぼくたちお邪魔ですか? 出てった方がいいですか?」
「何を馬鹿なことを言ってるんです? ディータも、さっさと寝てください。寝言を言うなら」
「そうそう。出てくならディータ一人で出てったら? ……私が隣のベッドにいるのに、変なことしたら私の拳が唸りますよ、リール様」
「しないって言ってるでしょう、シーザ。そもそもちょうどいい瓶の用意もありませんし」
「魂の話じゃありませんし! 怖いから具体的に話さないでくれません!?」

今夜はいつになくみんな騒がしい夜だった。
エリーゼがリールの隣に転がりくすくすと笑っていると、「よくそんなこと言ってるアレな種族の人の隣で眠れますね!?」とシーザの叫びがエリーゼに向かう。

「リールなりの冗談だよ。ふぁあ……眠くなってきた……」
「うわぁ……エリーゼ様、ホント現実見た方がいいですって……お母さまの末路を思い出して?」
「母上なら、最期まで幸せそうだったじゃありませんか」
「そうそう、リールの言う通り」
「ああもぅいやだこんな勇者家族……!」

シーザはこの暑いのに、シーツを頭から被ってカメのようになると沈黙した。
ディータは「井戸水被ったら戻ってきますのでー」と言って部屋を出て行く。
エリーゼは、隣に目を瞑り横になるリールの顔を見つめていた。

(弟……私の弟の、リール……)

きっとリールは起きていて、エリーゼに見つめられていることに気づいていただろう。
けれど、リールは何も言わなかったし、一度閉じた目をもう開こうとはしなかった。









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