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路地裏の子供たち


 生まれ変わって早五年目。
 剣と魔法のファンタジー世界で、トランプの特許を取った。
 先日確認したところ、トランプの特許申請をしてから僅か数週間で白銀貨四枚――簡単に言うと、日本年にして一千万円程のお金が懐に入ってきているはずなのに。

 その収益が手に入らない。

「……ううう」

 幼い小豆色の髪の女の子が白い大きな建物の前で唸っていた。
 円筒形の建物は、どんな材質で作られているのか継ぎ目のない白い石で作られている。毎日土足で出入りされているはずで、誰も掃除などしていないのに、気が付けばいつもピカピカに磨きあげられたかのうように綺麗な階段が目の前にある。

「うう、う、ぐっ」

 女の子――エリーゼは階段を昇り終え、庇の下までくるとがくりと膝をついた。お腹を押さえて恨めしげにその建物、大聖堂の廊下を眺めやる。

「これ以上、中に入ったら血反吐はく……」

 比喩ではなく事実だった。先日、実際に小さな子供の胃に穴をあけて、少なくない量の血を吐いて死にかけた。その再現とばかりに胃が痛む。これ以上無理をして大聖堂に押し入れば、確実に塞がっていた傷口が開くだろう。

「今日もだめだった」

 ぽつりと呟くと、エリーゼは踵を返した。大聖堂には特許を申請する機能があり、エリーゼはそれで大儲けができたはずだった。けれど、その金額のあまりの膨大さに五歳のエリーゼの弱い胃がプレッシャーに負けて穴を開けた。血反吐を履いて以来、トラウマなのか大聖堂に入れない。

 大聖堂に背を向けて、大聖堂前広場を小さな足で駆け抜けていく。大聖堂から離れればあっという間に胃の痛みは収まって、代わりに空腹を訴えて収縮する。

「ご飯いっぱい、食べられるようになるかと思ったのに」

 走って走って、エリーゼは屋敷へ戻った。古ぼけて、壊れかけた門の屋敷がエリーゼの家だ。壁にはう蔦や雑草だらけの庭、ぼろい東屋。
 この世界で得た新しい家族。

「誰にも会いませんように」

 願いは叶った。玄関を入り、玄関ホールをよぎるとき、いつもは大抵メイドと行きあってしまうが、それがなかった。中央階段を登る。兄達にも会わなかったのは幸運だった。姉の姿が見えないのだけは残念だった。一つ下の弟は部屋にいるだろう。一緒に連れてはいけないから、部屋も訪ねない。

 両親などいてもいなくても同じようなものだ。

(あれ? ぼろぼろの服、どこへやったっけ?)

 軽く埃を集めて窓から捨てるくらいで、どことなく薄汚れた部屋の、壊れたクローゼットの中に入れてある服は結構ある。ただ発育のいい九歳年上の姉のお下がりはどれも大きくて、満足に着られる服は少なかった。その中でも最も小さくて、尚且つ糸もほつれたみすぼらしいワンピースがここに入れてあったはずだった。

「あ、そういえばベッドの下の埃を集めるのに使ったっけ」

 浮浪児を装うために着ているから、汚れていれば汚れているほどいいと思って、雑巾代わりに使って部屋を掃除したのだった。案の定、ベッドの下で埃まみれでくしゃくしゃになっている布切れがあり、エリーゼはそれを引っぱりだしてくしゃみした。

「……うん、いい感じに汚れてる」

 鼻をすすりながら服を着替える。割れた窓硝子に映る自分の姿を見てエリーゼは苦笑した。そのワンピースを着たエリーゼは、五歳という年齢の幼さが現実の残酷さんを強調していた。

「可哀想な子」

 窓硝子に映る赤い髪と目を持つ女の子、前世日本人だったときとは似ても似つかない女の子を指差して笑うと、エリーゼは薄暗い部屋を発った。





 浮浪児を装うのは食べ物を得るためだ。
 エリーゼは短い足を必死で動かして、慣れた道を辿った。五歳の女の子のひとり歩きは危ないものだが、薄汚れたエリーゼに貴族街の人間は見向きもしない。暗い路地は通らずに、明るく広い通りを歩いて、道行く近辺の貴族邸に仕えているのだろうメイドや従僕達に睨みつけられながら南へと向かった。
 目指しているのは精霊神教会という場所だった。

 白く四角い建物の天辺にある、精霊神教会の象徴が見えたときエリーゼは足を緩めた。胃が空腹にきゅうきゅうと鳴いているが、もうすぐそこにパンがある。毎日味わっているのに中々慣れない身体をむしばむ空腹という感覚。溜息を吐きつつ、焦る心を静めながら歩いていく。
 エリーゼの片足が精霊神教会の敷地内に入ったとき、ちょうどエリーゼは堪え切れずに中へと走りこもうとしていたところで、そこへ肩を掴まれたのには驚いて声をあげた。

「っ、何?」

 空腹に気を取られ過ぎていたせいで、視線に気づかなかったらしい。
 この身体に生まれて、新しい家族の中で育っているうちに人の気配に鋭くなっていたため、久しぶりの不意打ちにエリーゼはうろたえた。うろたえるエリーゼの後ろにいたのは、黒髪に灰色の瞳をした男の子だった。
 男の子は灰色の眼でじっとエリーゼを見据えていた。感情の窺えない表情にエリーゼは動揺したが、見知った顔だったから曖昧に笑顔を浮かべた。

「ええと、久しぶり?」

 いつだったか、エリーゼからパンを奪った男の子だった。
 とはいえ、エリーゼは怒ってはいなかった。パンを奪われる前に、男の子を傷つけたのはエリーゼだった。男の子は男の子が所属しているらしい子供グループに誘ってくれた。そこへ行けばエリーゼは今の家を出て、家族と袂を分かつことができる。その誘いに乗ろうとしたけど、結局は怖気づいてエリーゼは男の子の気持ちを踏みにじったのだ。

「この間はごめんね。悪かったと思ってる。だけど、今日のパンはあげられない」

 昨日から何も食べていない。姉に貰ったお小遣いは底をついてしまったし、兄たちに縋る勇気はない。両親とは話が通じない。メイドは話しかけても無視をする。弟はまだたったの四歳で、エリーゼのように前世十五歳だった記憶があるわけでもない。
 エリーゼの言葉に、男の子は明らかに不愉快そうに鼻を顰めた。

「なんで?」
「お腹がへってるの。弟も、昨日から水しか飲んでない」

 その水も、井戸水を汲むことができないエリーゼが厨房からくすねてきたものだ。快く分け与えられたものではない。

「今日は、だめだよ。私からパンをとったりしたら許さない」

 目の前の男の子は、前世で言うなら幼稚園か小学校にあがって間もないような年齢の子供だった。けれど、エリーゼは本気で睨みつけた。今のエリーゼよりも年上だし、何より真剣に、教会から恵んでもらえる今日の分のパンがなければ、明日を生き延びられるかわからなかった。
 エリーゼの飢えた視線を受けて、男の子は不満そうだったが頷いた。エリーゼの肩から手を放し、エリーゼを教会の中へ行かせ、自分もその後に続いた。教会を管理している師父の話を聞き、さも心からありがたいと思っているように素直に精霊神アスピルを讃える。そうして手にいれたパンを手に、エリーゼはそそくさと屋敷へ戻ろうとした。そのエリーゼをまた男の子が引きとめた。

「なに? まだ怒ってるの?」
「そうじゃねーよ。ただ、今日はちょっとガラの悪いやつもいるから」

 男の子が灰色の視線を走らせた先には、確かに身体の大きい男の子がいた。小学校上級生くらいだろうか。憐れみを通り越して滑稽なぐらい薄汚れている。エリーゼの視線に目聡く気づくと不気味な笑みを浮かべた。それは子供の笑みじゃなく、獲物を見つけた飢えた強者の笑顔だった。

「……別に、大丈夫。ああいう子は通れない道を通るから」

 浮浪者はよく貴族街に出入りし施しを受けようとするものの、そこには浮浪者なりの貴族街でのマナーがある。貴族が見て、憐れみを覚えるような格好で、尚且つ不快感を与えてはいけないのだ。不愉快さを感じさせるような不潔な身なりの人間は、例え子供だろうと強制的に叩きだされる。メイドに見つけられれば箒で掃きだされるぐらいで済むかもしれないけれど、下男等の男手に見つかれば悪い時には暴力が行使される。黒みがかった黄ばんだ歯に、髪の毛にしらみが絡まっているような男の子は存在を許されない場所だ。  身なりはぼろくて汚くても、洗い流せば落ちる程度の薄汚さ。エリーゼがちょうどボーダーラインだ。

「貴族街か? じゃあおれも通ろうっと」
「えっ?」
「いいだろ? おれだってあいつにつかみかかられたら、けっこうヤバイと思うし」

 男の子はパンを片手に、エリーゼの腕を引っぱった。エリーゼはその手を振り払おうとしたが、向けられる視線に気づいてそれをやめた。今ここで男の子と別れたら、エリーゼが飢えた強者に狙われる。
 男の子の足は速かった。けれど追いつけないほどの速さではなかった。そして男の子はよく道を知っていた。まっすぐに貴族街へと続く道を進んでみせた。エリーゼがいつも通る道だ。

「ここまでくれば大丈夫だよ。だからここらへんでお別れしよう」
「いいや、いっしょに行く」
「いらないよ」
「おまえのためじゃねーよ」

 冷たく言われてエリーゼが苛立っていたのも少しの間だけだった。腕を引かれ、辿りついたエリーゼ=アラルド=ハイワーズの家――ハイワーズ家準男爵邸の門前。立ち止まった男の子はエリーゼを無表情で見おろした。

「おまえ、ここんちの子だろ」
「……そんな」
「しらばっくれてもイミねーよ。大聖堂広場からココにはいんの、見てたから」

 見られていた。エリーゼは思わず唇を噛んだ。
 向けられる視線や気配には敏いつもりだ。けれど気づけなかったのは、大聖堂に入れない無念さと空腹の辛さのためだろう。注意力が散漫になっていたらしい。

 見ていたのが浮浪児のこの無力な男の子だからこれしきの糾弾で済んでいる。
 けれど恐ろしい目論みを抱く浮浪者の男だったら? 成年の男の手にかかれば五歳の女の子であるエリーゼなど簡単な獲物だ。エリーゼが襤褸を着てパンを持つだけの少女だから子供に狙われるだけで済んでいる。これが準男爵を父親に持つ貴族の娘となったとき、エリーゼを狙うのは子供だけでは済まないだろう。

(もっともっと、気をつけなきゃ)

 物思いに沈んでいたエリーゼを、苛立った声が呼び覚ました。

「ダンマリかよ。それとももしかして、おまえはココに忍びこんで食いモンとかくすねてただけなのか? だとしたら度胸あんじゃん。ココが忍びこみやすい屋敷だってんなら、おれもはいろーっと――」
「だめっ」

 エリーゼは男の子を引きとめた。男の子は袖を引かれてじろりとエリーゼを振りかえった。エリーゼは逡巡したが、ゆっくりと首を振って本当のことを言った。

「やめたほうがいい。君が見つかったら、間違いなく殺されるから」
「……おまえは見つかっても殺されないんだ?」
「わからない」

 エリーゼの答えに男の子は目を瞠った。まるで、エリーゼがごく素直に、正直に答えたことを理解したかのようだった。

「機嫌の悪い時に会えば殺されるかも。よくわからないけど、凄く怖いひとたちだから。もしかしたら殺されるかもしれない」
「おまえ、あにきに、なぐられてんだっけ」
「殴られてないよ。暴力とか、ひどいこととか、そんなこと、されてない、ような気が……えっと、たぶん。そのはず、なんだけど……?」

 言いながら、小刻みに震える身体にエリーゼは首を傾げる。胃が痛む。それ以上考えると吐きそうだった。頭を振って、エリーゼは考えを振り払う。自分の身体を抱きしめて震えを収めようとしているエリーゼを見て、男の子は固い表情をやめて眉尻を下げた。

「そっか。貴族でも、ロクデナシってのはいるんだな」
「こんなところで言っちゃだめ! 聞かれたら殺される!」
「わかった。おれはもういくよ。おまえ、ほんとにおれと一緒にこないで、へいきか?」
「……弟がいるから」

 エリーゼはどこかそらぞらしい言葉を吐いた。
 兄達に嫌われているのはエリーゼだけだ。何故なら、エリーゼだけがバカ貴族である父親に可愛がられているから。どうしてエリーゼだけが目をかけられているのかといえば、その父親の愛する母親に、エリーゼがうり二つだから。

(リールは、側に私がいなければお兄様たちに面倒見てもらえるんじゃないかな)

 それとも、エリーゼの次に母親に似ているのが弟のリールだから、嫉妬の矛先がエリーゼからリールに変わるだけなのかもしれない。
 試してみる気にはなれなかった。エリーゼはどこか不思議な気持ちで思った。

(そっか……そういえば、私には弟がいたんだった)

 エリーゼはそれなりに四歳の弟を気にかけてはいたものの、これまでべったりと側にいたわけではない。生きるために必死だった。前世の記憶を持つエリーゼがやっとのことで生きていた状態で、ただの四歳の弟がどうやって今日までを生きてきたのか。

(お姉さまが面倒みてあげてたのかな)

 辛うじて生きているだけで、病気をしたらすぐに儚くなってしまうかもしれない。自分も弟も目の前の男の子も、明日をも知れぬ不確かな命だった。あまり考えたくなくて、エリーゼは思考をやめて目の前の男の子に向き直った。

「ねえ、このことは秘密にして」
「そーだな。貴族がおれたちとおんなじコトしてんのかとおもうとカンジわるいケド、おまえたいへんそうだし、しかたないよな」
「秘密にしてくれる?」
「いいよ。おまえナマエなんていうんだ?」
「エリーゼ」
「おれはフィン。ほんとにヤバイときには逃げてこいよ」

 パンを片手に男の子――フィンは屋敷を背にして駆けていった。
 エリーゼはその背を見送って、小さな声で「ありがと」と呟くと壊れた門を押して屋敷の中へと入っていった。



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